こ も れ び の 里

長崎県鹿町町、真言宗智山派、潮音院のブログです。平戸瀬戸を眼下に望む、人里離れた山寺です。

お経は口に出して読むもの

2010年06月08日 | 仏教
いつも乱雑な本棚をゴソゴソとやってると、
端の方から『八段章』松崎慈恭編集(大正六年)という小さな冊子が出てきました。
これは、大正時代に発行された一般の人向きのお経のテキスト。
数年前ある御縁(その節は・・・深感謝)を頂戴しまして、
「草野榮應・くさのえいおう」僧正という方に引き合わせていただきました。
その際に頂きましたテキストです。
草野榮應さんという方は、東京沼袋の百観音明治寺住職だった方で、
とてもお温和でやさしい地味で質素な僧正様でした。
でも、その活躍たるや、心からの尊敬に値するお坊様で、
地域に根ざしたお寺のあり方を模索実践、宗派の垣根を越えた仏教情報センター運営、
電話相談やホスピスの会、講演会や各紙誌への寄稿などなど、
社会的な活動も幅広くこなされていました。
・・・残念ながら、平成十五年、行年50才にてご遷化(せんげ)されました。

そんな和尚様からどんな話しの経緯でこの冊子を頂くに至ったのか?
なかみを開いてみて想い出しました。
「読経」ということの意義を求めてその話題で盛り上がったのです。
そうですそうです。
で、「大正時代に刊行されたとてもすてきなテキストがありますから」ということで
後ほど送付いただいたと。

せっかくなんで、何回かに分けて、かいつまみながらいくつかご紹介しますね。

まずは、「懺悔文」。

□ 我昔所造諸悪業
◇ 我昔より造るところの諸々の悪業は
☆ うまれぬさきの むかしより わがなせしつみ かずしれず

□ 皆由無始貪瞋癡
◇ 皆無始の貪瞋癡による
☆ これみなぐちの こころより むさぼり いかり よこしまの

□ 従身語意之所生
◇ 身語意より生ずるところなり
☆ みちにまよいて かなしくも つくりかさねし とがなれば

□ 一切我今皆懺悔
◇ 一切われ今みな懺悔したてまつる
☆ ここへきたのを さいわいに のこらず ざんげいたします

□が漢文で、◇が読み下し、そして☆が、意訳です。
この☆の意訳がなんともリズミカルで明瞭でストンとくるんです。

この冊子のことは、もちろん、草野榮應和尚様も、
自坊発行の寺だより「ひとくち伝言」の中で、
2回にわたりご紹介されました。(平成13年8月号、9月号)
コメント (3)
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