以下は、貪りと怒りをテーマにした観察です。
題しまして、「クールな観察日記」(^-^)
私は、日々刺激を求めて飽くなき動物のようだ。
私を取りまく環境は、
すべてが刺激に基づいた社会構造になっている。
貨幣経済しかり、学校教育しかり、家庭生活しかり。
あれを手中におさめたい!という欲望がある。
この欲望は、生きる目標として誰からも正当化されるだろう。
その欲望を達成するために元気、やる気、パワーがみなぎるのだから。
あれが欲しいこれが欲しいと、とても苦しむ。
でも、その苦しさは、欲望達成の幸せへつながるためのスパイス。
でもそれは大きな大きな誤解だ。
時として、モノを欲する気持ちは過剰な刺激となっている。
ドキドキ感を味わう。なかなか心地よいモノだ。
あれを手にしたら、きっと幸せであるに違いない。
いやいや、それは幻想だな。大きな誤認だ。
仮に目的のモノが手に入ったとして・・・。
なんだか、こんなもんかあ、って思うに違いない、きっと。
私がこれまで増幅させ続けてきたイメージとはほど遠いモノ。
勝手に想像を膨らませ、モノに過剰な期待をし、
強い刺激を求めるモノだから、そんななっちゃう。
んじゃ、今度はこれじゃなくてアレにしよう、
ってまた同じ欲望の充足を求めて目的を定めるに違いない。
で、同じコトを繰り返すんだな。
この心の癖は、このまま飽きることなく、
ますます勢いをつけながら連鎖し続けるにちがいない。
・・・と思ったと同時に、
私の中でクールな観察力が芽生え出してきた。
人やシステムに対する怒りの感情、破壊してしまいたいという衝動、
これなんか貪りの心よりもより刺激的な幻想だなあ。
私にとってひどく都合の悪い人や組織は、
できれば私の目の前から消えて欲しいと願う。
邪魔なモノ。だからいなくなれば無くなれば幸福になれる、
って思ってしまう。
でも、実際怒りの原因と感じていたモノが排除されても、
私は幸福になることはできない。
なぜならば、過剰な感情、強い刺激、エキサイティングな思い、
・・・そんな刺激を欲しながら、
そんな刺激という幻想にしばられながら生きているのだから。
・・・と思ったと同時に、
私の中でクールな観察力が芽生え出してきた。