こ も れ び の 里

長崎県鹿町町、真言宗智山派、潮音院のブログです。平戸瀬戸を眼下に望む、人里離れた山寺です。

天国≠あの世

2010年06月12日 | 仏教
「おじいちゃん(おばあちゃん)、天国で安らかにお眠り下さい!」
という幼い子どものお別れの言葉に、
参列の方々の多くは心より頷き、そして涙します。
ただ、お坊さんだけが、
「・・・天国じゃねえんだけど、ま、いっか。」
と、心の中でつぶやきます。

天国とは、おそらくキリスト教の言葉でしょう。
仏教には天国という言葉はありません。
でも、「天国で安らかに・・・」という言葉で示したいのは、
お浄土とか、極楽とか、彼岸とか、あの世とか、そんなことの意味ですもんね。

では、キリスト教の説く天国ってどんなことなんでしょうか?
天国は、「神の国」といういい方がなされます。
この世はいまだ完全な神の国になっているわけでなく、
この世が終わる頃、神の国は完成します。
というか、神様がイエスをともなって降臨するこの世。
その時のこの世が、「天国」となるわけですね。
やがて復活する神の子イエスを信じることのできる
忠実な信者は、最後の審判により、
皆この神の国「天国」に入ることができる。
というわけです。

あら?

ということは、「天国」って、この世のことだから、
あの世である天国で安らかに・・・っていう言い方は、
やっぱり正しくありませんねえ。

でもね、最近ときどき思うんですが、
純粋なキリスト教や、インド伝来の仏教教義を通した死生観を考えると、
私たち日本人には何か無理が生じてしまうというか、ギクシャクするというか、
しっくりスッポリ収まらないことが多くてね。

やっぱり

「阿字(アジ)の子が
 阿字(アジ)のふるさとたちいでて 
 またたちかえる 阿字(アジ)のふるさと」 古歌(詠み人知らず)

この古歌が伝える「いのちのふるさと」こそ、
私たち日本人の遺伝子に染みこんだ死生観のような気がしてね。
コメント (2)
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