「おじいちゃん(おばあちゃん)、天国で安らかにお眠り下さい!」
という幼い子どものお別れの言葉に、
参列の方々の多くは心より頷き、そして涙します。
ただ、お坊さんだけが、
「・・・天国じゃねえんだけど、ま、いっか。」
と、心の中でつぶやきます。
天国とは、おそらくキリスト教の言葉でしょう。
仏教には天国という言葉はありません。
でも、「天国で安らかに・・・」という言葉で示したいのは、
お浄土とか、極楽とか、彼岸とか、あの世とか、そんなことの意味ですもんね。
では、キリスト教の説く天国ってどんなことなんでしょうか?
天国は、「神の国」といういい方がなされます。
この世はいまだ完全な神の国になっているわけでなく、
この世が終わる頃、神の国は完成します。
というか、神様がイエスをともなって降臨するこの世。
その時のこの世が、「天国」となるわけですね。
やがて復活する神の子イエスを信じることのできる
忠実な信者は、最後の審判により、
皆この神の国「天国」に入ることができる。
というわけです。
あら?
ということは、「天国」って、この世のことだから、
あの世である天国で安らかに・・・っていう言い方は、
やっぱり正しくありませんねえ。
でもね、最近ときどき思うんですが、
純粋なキリスト教や、インド伝来の仏教教義を通した死生観を考えると、
私たち日本人には何か無理が生じてしまうというか、ギクシャクするというか、
しっくりスッポリ収まらないことが多くてね。
やっぱり
「阿字(アジ)の子が
阿字(アジ)のふるさとたちいでて
またたちかえる 阿字(アジ)のふるさと」 古歌(詠み人知らず)
この古歌が伝える「いのちのふるさと」こそ、
私たち日本人の遺伝子に染みこんだ死生観のような気がしてね。
という幼い子どものお別れの言葉に、
参列の方々の多くは心より頷き、そして涙します。
ただ、お坊さんだけが、
「・・・天国じゃねえんだけど、ま、いっか。」
と、心の中でつぶやきます。
天国とは、おそらくキリスト教の言葉でしょう。
仏教には天国という言葉はありません。
でも、「天国で安らかに・・・」という言葉で示したいのは、
お浄土とか、極楽とか、彼岸とか、あの世とか、そんなことの意味ですもんね。
では、キリスト教の説く天国ってどんなことなんでしょうか?
天国は、「神の国」といういい方がなされます。
この世はいまだ完全な神の国になっているわけでなく、
この世が終わる頃、神の国は完成します。
というか、神様がイエスをともなって降臨するこの世。
その時のこの世が、「天国」となるわけですね。
やがて復活する神の子イエスを信じることのできる
忠実な信者は、最後の審判により、
皆この神の国「天国」に入ることができる。
というわけです。
あら?
ということは、「天国」って、この世のことだから、
あの世である天国で安らかに・・・っていう言い方は、
やっぱり正しくありませんねえ。
でもね、最近ときどき思うんですが、
純粋なキリスト教や、インド伝来の仏教教義を通した死生観を考えると、
私たち日本人には何か無理が生じてしまうというか、ギクシャクするというか、
しっくりスッポリ収まらないことが多くてね。
やっぱり
「阿字(アジ)の子が
阿字(アジ)のふるさとたちいでて
またたちかえる 阿字(アジ)のふるさと」 古歌(詠み人知らず)
この古歌が伝える「いのちのふるさと」こそ、
私たち日本人の遺伝子に染みこんだ死生観のような気がしてね。