こ も れ び の 里

長崎県鹿町町、真言宗智山派、潮音院のブログです。平戸瀬戸を眼下に望む、人里離れた山寺です。

止観(しかん)と加持(かじ)

2010年06月22日 | 仏教
仏さまは、分析の達人です。
つかみ所のない人間の精神活動を、
ひろく見渡し、深く洞察し、分析を徹底させていく。
私たちもこの仏の分析力に接近する努力と習慣を身につけていきましょう。

そのためにも、まずは「身心を静寂にする」ことが必要となります。
その上で、「心の観察」が可能となる。
これを、仏教の言葉では「止観(しかん)」といったり、
「加持(かじ)」と表現したりします。

止観の”止”は、幻想や過剰な欲望がおさまって、
気分がとっても静かに落ち着いた状態です。
いわば波立つ水面がぴったり止まって鏡のようになった状態。
これは加持の「持」です。

止観の”観”とは、鏡のようになった水面に、
空のお月様がお月様としてありのまま映ることです。
これが加持の「加」。

禅定によって心はありのままを正直に映しだす鏡となり、
その心の活動を一つ一つていねいに紐解くことで、
如実に自らの心が見えてくる、真理に至ると。
この一連の流れを、「加持感応(かじかんのう)」する、と表現します。

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意志がにごると 意地(いじ)となる

2010年06月20日 | 仏教
心根の腐った人や根性の悪い人のことを「意地が悪い」、
自分の思うことを無理やり押し通すことを「意地を通す」、
物品をむやみにほしがったり、
食べ物にひどく執着する人を「意地汚い」とか「食い意地が張っている」と、
とかく負のイメージがつきまとう「意地」という言葉ですね。

でも、ある一面では、特にスポーツの世界や教育の価値観などには、
がんばる心、とか、強い心、根性、心意気、誇りといった
プラスのイメージで使われたりもします。
「あなたはもう少し意地を見せなさい」、
と、小学生の頃よく先生に言われていたのを想い出します。(^^;)
んで、私は、「僕の辞書には意地という言葉はありません。」と、
心の中でつぶやいておりました。面と向かって言えないところも意気地無し、です。^^;

お話が脱線しました。
「心」をとらえ、そしてそれをコントロールしていくこと、
すなわち心を整えていくという作業は、
これ、仏教のメインテーマですね。
すでに述べました「おこない」と「言葉」も、
心と不可分の関係です。
「身心一如(シンシンイチニョ)」といいますように、
からだと心は別々のものではありません。
だから、これらは全部一セットとしてみるべきです。

具体的には、「身心を静寂にすること」と、
「心の観察」という二種類のとりくみが説かれます。
身心の静寂は、座禅など代表的な方法ですよね。
心の観察は、自分自身を極めて客観的に眺める訓練です。
この心の動揺は何が原因なんだろうか?
どんな手順で今のざわめきに繋がっているんだろうか?
ゆってみれば、動揺そのものに左右されることなく、
その全体像を俯瞰的にみすえ、今の状態にあらためて「気付く」作業です。

なんだか、小難しい話になってしまいましたが、
話すテーマに対して、話し手の力量が小さすぎると、
表現が難しくなったり漢字が増えたりするものだ、
・・・ということを、今まさに、「気付」かされました。





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口がにごると 愚痴(ぐち)となり

2010年06月18日 | 仏教
「口は災いのもと」。
ついポロリと・・・
痛い思いをされた人、結構いらっしゃるかと。
そういう私も、いまだその思いを繰り返しています。(^^;)
仏教に於ける「言葉」に関わる注意事項、これすごいウエイトを占めています。
それだけ慎重に、そして重要視されてるんですね。

言葉の発言には、五つのポイントをふまえます。
言葉のチェックポイントですね。
一つには、時にかなった言葉とかなわない言葉。
     この発言は、今このタイミングで適切なのかどうか?
     話す相手はこの人で適切なのかどうか?
二つ目には、その言葉は、事実にかなった言葉かそうでないか。
三つ目には、言葉が柔らいか乱暴か。
四つ目には、その言葉が有益か無益か。
五つには、その言葉は、慈しみの言葉か憎しみか。
            (「仏教聖典第1063番」130ページ)
これらのチェック項目で、自らの発言を反省していくと、
美しく整った言葉の習慣が身についてくるはずです。
とても美しい仏のような言葉の使い手になれるでしょう。
「語る」ということに義務感を持ってしまっている坊さんとしては、
早々気軽にしゃべれなくなってしまいそうですが、
特に気になるのが、一番目のチェックポイント、「時と相手」の問題。
これさえクリアーできれば、と思いますが、一番難しい課題でもありますね。

しかしですね、自分の言葉がどんなに美しくなりえたとしても、
今度は、相手の発する言葉に対する免疫も、養わなければならないんですよ。
どんな言葉に対しても、心が動揺してはいけません。
決して怒りや憎しみの心をおこしてはなりません。
同情と哀れみをもって慈しみの心で相手を包み込むんです。
決して心が変化しないように充分に鍛え養う必要があります。

自分の発言に慎重になることは、努力することでできそうな目標ですけど、
相手の言葉に対するこの心構えは、決して容易いモノではないようです。

でもね、
あなたに罵詈雑言を浴びせたあの人は、
あなたを導いて下る仏さまに違いありませんよ。きっとね。(^_-)

いかにとらえるか?そこが分かれ目です。


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徳がにごると毒となる

2010年06月16日 | 仏教
意志がにごると 意地(いじ)になり

口がにごると 愚痴(ぐち)になり

徳がにごると 毒となる



ほんと、
三業(行為・言葉・こころ)を整えることは大切です。
私たちがかかえ込んでしまう辛さや悩み苦しみは、
私たち自身の三つの業が生み出しています。
だから仏さまは、この三つの業をきちんとしていきな、と、
そう示されているんですよ。

まずは、「身」。
私たちの行為や生活スタイルのことです。
仏教では、あまり極端な行為はよくないと諭します。
過剰行為です。これはいい結果を呼びません。
鍛え過ぎもダメ、怠け過ぎもダメ。
ちょうどいい加減、がベスト。

あと、呼吸の仕方や食事の仕方も重要ですね。
呼吸法は、具体的に指導者の下でやられた方が無難ですが、
基本は、出す息をなが~く、吸う息を短く。
これを意識して繰り返します。
数回これを繰り返したら、次は呼吸を意識せずに呼吸する。
・・・と他にもいろいろポイントはありますけど、
ともあれ、イラッ!としたり、イヤ~なことがあったり、
不安感や恐怖感、とにかくこころが不安定になったとき、
この方法で呼吸を整えてみてください。
不安定になった心を、心で安定させようとしても、
なかなか容易ではありません。
呼吸でコントロールすることを習得すると
文字通り心強い!

それから食事ですね。
食事で重要視するのは
「食事の時間(タイミング)」、「食事の量」、「食事の施し」
です。夜遅い食事は×。適量を知らない食事も×。
食べ物を施す精神を忘れた食事も×。
近代予防医学で力説するより遙か遠いいにしえに、
既にきちんとした食事法が仏教によって説かれていたんですよ。
で、これをキチッと実践してれば、
わざわざダイエットをする必要もないということですな。
(いささか耳痛し!)
ともあれ、食生活は、心に大きく影響するんですよ、ということです。





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ずっと変わらないものは何もない

2010年06月15日 | 仏教
今日6月15日はお大師さま(弘法大師空海)のお誕生をお祝いする
「青葉まつり」です。(当山は先月の第一日曜日に執行畢)
そこで、お大師さまのお言葉をひとつ。

 〃冬の氷も春になればとけて流れるように、

  金属や岩石も熱にあえば溶解してしまうように、

  すべてのことがらは、

  みな因縁から成り立っている。

  永久不変の定まった物事は何ひとつない。〃

                 『三昧耶戒序』

物事(結果)には、数え切れない無数の御縁(条件・影響)があります。
あれだ、これだ、と限られた御縁だけでは成立しません。
だから、日頃はなかなか目で見たり認識したりすることが困難です。
そしてその結果も、また様々の御縁によって変化をしていきます。

この「因縁生起インネンショウキ」の真理をわかっていることは
とても大切なことですよね。
世の中のあらゆるモノやコト、ヒトは、
様々な縁に恵まれてはじめて花開くことができると思います。

この道理を心得、目に見えない御縁に感謝。    合掌

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