仏さまは、分析の達人です。
つかみ所のない人間の精神活動を、
ひろく見渡し、深く洞察し、分析を徹底させていく。
私たちもこの仏の分析力に接近する努力と習慣を身につけていきましょう。
そのためにも、まずは「身心を静寂にする」ことが必要となります。
その上で、「心の観察」が可能となる。
これを、仏教の言葉では「止観(しかん)」といったり、
「加持(かじ)」と表現したりします。
止観の”止”は、幻想や過剰な欲望がおさまって、
気分がとっても静かに落ち着いた状態です。
いわば波立つ水面がぴったり止まって鏡のようになった状態。
これは加持の「持」です。
止観の”観”とは、鏡のようになった水面に、
空のお月様がお月様としてありのまま映ることです。
これが加持の「加」。
禅定によって心はありのままを正直に映しだす鏡となり、
その心の活動を一つ一つていねいに紐解くことで、
如実に自らの心が見えてくる、真理に至ると。
この一連の流れを、「加持感応(かじかんのう)」する、と表現します。
つかみ所のない人間の精神活動を、
ひろく見渡し、深く洞察し、分析を徹底させていく。
私たちもこの仏の分析力に接近する努力と習慣を身につけていきましょう。
そのためにも、まずは「身心を静寂にする」ことが必要となります。
その上で、「心の観察」が可能となる。
これを、仏教の言葉では「止観(しかん)」といったり、
「加持(かじ)」と表現したりします。
止観の”止”は、幻想や過剰な欲望がおさまって、
気分がとっても静かに落ち着いた状態です。
いわば波立つ水面がぴったり止まって鏡のようになった状態。
これは加持の「持」です。
止観の”観”とは、鏡のようになった水面に、
空のお月様がお月様としてありのまま映ることです。
これが加持の「加」。
禅定によって心はありのままを正直に映しだす鏡となり、
その心の活動を一つ一つていねいに紐解くことで、
如実に自らの心が見えてくる、真理に至ると。
この一連の流れを、「加持感応(かじかんのう)」する、と表現します。