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史跡南040  鳥羽伏見の戦い 跡

2019年01月09日 17時02分45秒 | 史跡・旧跡

 

城南離宮 右 よど  や八た

 

左り 京ミち   

安政六年 上鳥羽村 未五月 奈佐氏

昭和六十三年辰五月 城南宮 復元建立

安政六年 上鳥羽村 未五月 奈佐氏

 

鳥羽伏見の戦い 勃発の地

明治元年(1868)正月3日夕刻、この付近で起きた戦が「鳥羽伏見の戦い」の発端となった。

「王政復古の大号令」の後、徳川将軍家の領地返納を強行採決した薩摩・長州らの藩に、不満を覚えた幕臣・会津・桑名らの藩は、正月1日挙兵、大坂から京へ攻め入ろうとし、薩摩、長州の新政府軍がこれを迎えうった。

城南宮には、薩摩藩の野津鎮雄らが大砲を備えて布陣し、竹田街道を北上してきた桑名軍と幕府大目付・滝川具挙が、小枝橋を渡ろうとするのを、薩摩藩兵が阻止して談判の後、ついに薩摩側から発砲した。その一弾があたかも合図となって戦端はひらかれ、鳥羽と伏見の両方面で激戦が展開された。幕府軍は約2万、新政府軍は約5千の兵力であったが、新政府軍の大砲・鉄砲などの新式の武器の威力が幕府軍の行く手を阻んだ。また新選組も、近藤勇沖田総司をけがと病気で欠いていたものの、土方歳三永蔵新八以下の隊士たちが伏見奉行所詰めからこの戦いに加わっている。しかし新選組らの奮闘も虚しく、幕府軍は正月6日ついに大坂城に向け退陣した。ひの一戦を皮切りに、約2年にわたる戊辰戦争が始まったのである。

 小枝橋について

その昔京都(平安京)への渡り口である小枝橋はいい伝えによりますと杭を打った上に板を渡した木の橋であり、その後昭和のコンクリートり橋が出来るまでは土を固めた土橋であったと伝えられています。この橋は京都が都と云われた時代には重要であり、当時大阪(浪速)に渡来した大陸からの文化はすべてこの橋を渡って渡来して来たものと思われます。当時庶民にとっては何かにつけて都は憧れであり、西方からの旅人はこの橋迄たどりつく事により安堵したとの事です。そして以前は時により鴨川が氾濫して橋が流された様です。又、明治維新や日本赤十字社の創設の原因を作った戊辰戦争の戦端が開かれた場所でもあります。

昭和に入って交通機関の発達する迄は小枝橋を荷車や歩行の人々が利用していました。現在は地元民や伏見地域の人々は元より東西南北の通過橋としてかけがえのないふれあいとコミニケーションが保たれる橋として役立っています。

 

 道標 前回の記事 ⇒  道標西0203 従是東山城国

史跡 前回の記事 ⇒  史跡南039 西寺跡  石碑南0180 西寺跡

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寺院南0537 正覚山  実相寺 日蓮宗

2019年01月09日 06時24分44秒 | 寺院

 

 

 

 正覚山と号し、文和元年(1352)日像上人の弟子大覚僧正(妙実上人)が後光厳天皇の勅命をうけ、この地において祈雨祈祷を行った由縁により、創建された。日蓮宗の寺。その後、妙覚寺(上京区)の隠居寺となったが、近世初頭、不受不施派となったため、弾圧をうけて退転し、50年間ほど回復しなかった。寛永年間(1624~44)、松永貞徳の兄が当寺の住持となり、貞徳の帰依を受けたことから寺運は隆盛になり、寺中4ヶ寺を数えるまでになった。しかし、その後しばしば水害を受け、明治8年(1875)には残っていた1ヶ寺も焼失した。今の本堂は嘉永4年(1851)の再建のもので、本尊釈迦多宝仏および「日蓮うなずきの像」を安置する。什宝に貞徳像や同画像および関係遺品等がある。

 

 

 

 車石・車道

江戸時代、下鳥羽から上鳥羽を経て羅城門までの鳥羽街道は、横大路・下鳥羽の湊に荷揚げされた年貢米や穀類・木材などを洛中へ運ぶ牛車の専用道路(車道)であった。人や馬の通る往還まぬかるみ対策で人馬道がかさ上げ改修を繰り返すなかで、街道の片側あるいは中筋の車道は、一段低く位置することになった。この区間は、低湿地帯で、雨でも降れば土道である街道はぬかるみ、牛車の車輪がぬかるみにとられてスムーズに通ることができなかった。

そこでも江戸時代の後期、車道の車輪の通るところに2列に、規格化された厚板石を並べ牛車を通りやすくした。この敷石が車石(輪形石(わがたいし))である。車石は、下鳥羽辺りから上鳥羽を通り羅城門付近まで、延々と敷設されており、単線のため、午前中は上り、午後は下りと一方通行になっていた。車石に残る深い轍の跡は、重量物を運ぶ牛車の頻繁な往来によりできたものである。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 本堂の天井に描かれています

 

 関連記事 ⇒  まとめ005 車石 のあるところ

        祠下005  花咲稲荷神社  松永貞徳の邸にあった鎮守社

 寺院 前回の記事 ⇒ 寺院南0536 西教寺 浄土真宗本願寺派

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