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寺院南0546 一念寺 浄土宗  圓光大師 土佐流罪の別れの寺

2019年01月14日 16時14分55秒 | 寺院

 

 

 

 この地一念寺は,天武3(674)年道昭(629700)の開創で,その後元興寺派法相宗の寺として存続。承元元(1207)316日,円光大師(法然)は,念仏停止の罪により藤井元彦の俗名を受けて土佐に流された。その折鳥羽の港に近いこの寺に入って弟子らと最後の別れを惜しんだ。永享9(1437)年,真阿(13851440)がその遺跡の荒廃を悲しみ,再興し浄土宗に改宗した。

 

円光大師  御旧跡

            なこり乃御ミやうごう

南無阿弥陀仏 一念寺

 

寺伝によれば、天武天皇即位2(674)僧道昭が創建し、奈良の元興寺に属する法相宗の寺であったが、永享年間(142941)に、後亀山天皇の皇子で、寺町頭(上京区)に十念寺を創建したが、法然上人の霊跡を慕ってこの地に来往し、真阿上人によって再興され、浄土宗に改められたといわれている。

本堂に安置する本尊阿弥陀如来像は、定印をむすんで結跏趺坐する丈六の巨像で、俗に「鳥羽の大仏」と呼ばれ、人々から親しまれている。この大仏は、当寺の再興に当たって、東大寺念仏堂から移されたものと伝えられている。門前の鴨川畔は、永享12(1440)66歳で没した真阿上人遺命により、遺体が水葬されたところで、「真阿ヶ淵」と呼ばれ、以後永く殺生禁断の地とされてきた。 京都市

 

 

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寺院南0545 法傳寺   石碑南185 戊辰東軍戦死者之碑

2019年01月14日 08時36分17秒 | 寺院

浄土宗 瑞華山

 

 

精忠碑   明治43年4月建設

 

支那事変 大東亜戦 戦没者之碑   建立されたのは昭和 裏面に戦死者名が記されています

 

 

 

 

 

戊辰東軍戦死者之碑  太宰府宮小路康文書

この碑は,戊辰戦争の発端となった鳥羽伏見戦の東軍(幕府軍)戦死者を供養するものである。法伝寺の門前は鳥羽街道で,慶応4(1868)年正月3日から5日にかけて激しい戦闘が繰り広げられた。明治40年に戦死者四十年祭が執行された時に,悟真寺・妙教寺・長円寺に3基の東軍戦死者招魂碑が建設されたが,本碑はその先駆と見なされ碑前でも法要が行われている。

 

 

明治三十年   一月吉晨建之

発起人連名

林留治郎  奥田清兵衛 大澤又左衛門   小笹忠治郎  織田藤治郎

高志原親  松川常七   福知彦左衛門  藤田権助    小池龍成

■■仁兵衛   斉内六郎兵衛

特賛助兼彫刻     京都石田半三郎


戦死者埋骨東北悲願寺墓地

 

この石碑は  

 

 

 

 

 

出征軍人姓名  ・・・発起人 在郷軍人

 

 

関連記事 ⇒  悟真寺・妙教寺・長円寺

        関連0007  戊辰戦争 ・戊辰役

 

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