鳥羽の大石
この石は、河原を公園化する「京の川」整備事業の際、龍門堰下流数百メートル付近の鴨川の水中から、
郷土を愛する人達により引き上げられました。
これは一体、何の石か。
何時、何処から、誰が、何の為に運び、ここに何百年もの永きにわたり川底に眠っていたんだろう。
一説によると、寛文2年(1662年)5月、京都を中心に大地震が発生し、二条城も大被害を受け、
建物や石垣の修理を行った記述が古文書に残されています。
当時、ここ下鳥羽三町付近の鴨川に「鳥羽の港」があり、京の都へ、人や物資が行き交う交通の要の港として栄えたと伝えられています。
この石も二条城の城郭石材として使われる為に、瀬戸内の石切り場から水運で鳥羽の港へ、そしてこの地で陸揚げされ修羅などに乗せて陸路、二条城へ運ばれるものが、途中何らかの原因でこの川底に沈み、現在まで眠っていたと考えられます。
二条城の石を調査したところ、城門の飾り石に使用されている物と、石質や寸法、くさび跡「矢穴痕」などが鳥羽の大石と大変良く似ていることが判明しました。その当時の残石だと言う説が有力です。
京の川 下鳥羽整備委員会 京都鳥羽ライオンズクラブ
まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き南1001 銀杏の木
下の地図のユーザー地図 の囲みをクリックすると 付近の記事が探せます