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寺院木津川0552 安福寺 西山浄土宗 平家ゆかりの寺

2019年01月19日 21時34分35秒 | 寺院

 

 

 

安福寺

心道山安福寺と号する西山浄土宗の寺で、平家一門の武将、平重衡とは縁の深い寺である。平重衡は、一の谷の合戦で捕らえられ、鎌倉に送られた後、源頼朝に丁重に遇される。しかし、東大寺、興福寺の焼き討ちを憎む南都衆徒の強い要求により木津川の河原で処刑された。

そのとき、近くの古堂から運び出した阿弥陀仏を重衡の前に置き、佛の御手にかけた紐を、手の中におさめ「浄土に迎えられますように」と念仏を唱えながら斬首されたという。

安福寺は、平重衡の死を地域の人々が哀れみ、重衡の引導佛でもある、阿弥陀如来坐像が安置されている。

境内には、重衡の墓と伝えられる十三重之石塔が建てられています。

また、同寺の北西の木津川堤防には、「首洗池」と称する池が残り、その側には「不成柿」と呼ばれる柿の木がある。重衡が最後に柿の種が生長したもので実がならないと伝えられている。安福寺住職

 

 

塔の高さは 約4.5m

 

 

 

 833回忌と書かれています

 

 

線路の向こう側に 安福寺の屋根が見えます。

 

 

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                    まち歩き木津川1007 平重衡首洗池・不成柿

寺院 前回の記事 ⇒ 寺院南0551  阿弥陀寺 浄土宗

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まち歩き木津川1007 平重衡首洗池・不成柿

2019年01月19日 19時34分43秒 | まち歩き

 

 

 

 

 

 

平重衡首洗池・不成柿

平清盛の五男、平重衡は、治承4(1180)1228日、源氏に味方する東大寺・興福寺を焼き打ちしました。その後、一ノ谷の戦いで源氏に敗れた重衡は、虜囚となって鎌倉の源頼朝のもとへ送られましたが、南都の衆徒の強い引き渡し要求に頼朝も折れ、元暦2(1185)623日、木津の地まで送られてきました。南都の衆徒は、木津川の河原で、念仏を唱える重衡の首をはね、奈良の般若寺にさらしました。

その際、この池で首を洗い持参したと伝えられています。その後、重衡を哀れんだ土地の人々は柿の木を植えましたが一向に実らず、このことから不成柿と称せられています。国鉄奈良線の東側にある安福寺の東側にある安福寺には、重衡の引導仏といういわれをもつ阿弥陀如来を納めた哀堂と13重の供養塔があります。昭和593月 木津町教育委員会

 

 

 

 

 

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まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き南1006 戊辰戦争 東軍 戦死者埋骨地碑

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道標伏0205 淀小橋 旧址 

2019年01月19日 06時15分50秒 | 道標

 

 

 

 淀小橋 旧址


淀小橋 旧址

 

昭和2年春  再建  京都 三宅安兵衛 遺志建立

 

平成2年結成 京都淀ライオンズクラブ建立

 

 もとここにあった道標が淀城址にある  石碑伏0145 淀城址に 石碑・道標 3本

道標 前回の記事 ⇒ 史跡南040  鳥羽伏見の戦い 跡

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