ここは京都府立朱雀高校
西側は 二条城
平安宮 式部省跡
式部省は平安宮(大内裏)の正門である朱雀門を入ったすぐ東側にあって、西側の対象位置には、武官の人事を担当する兵部省がある。
国家の重要な省庁である八省(中務・式部・治部・大蔵・刑部・宮内・兵部・民部の各省)の1つで、政務や事務を担当する文官の人事を担当する重要な役所であった。文官の養成、勤務評価、賞罰のほか、朝廷内での儀式を監督することから、長官や次官には有力な貴族が就任した。
式部省跡内での調査例は少ないが、西辺築地跡付近の調査では、地表から50㎝の深さで、平安時代の土杭(どこう・遺物の入った穴)が見つかり、鬼瓦や軒平瓦を含む多量の瓦が出土しており、瓦葺の大型建物があったと推定できる。また、朱雀高校体育館建設に伴う発掘調査では、式部省南側に接して平安宮を囲む南辺大垣に葺かれた多量の瓦が出土した。出土瓦は京都近郊のほか兵庫県や香川県で生産された平安時代後期の瓦が大部分を占めており、保元2年(1157)の藤原道憲(みちのり・信西)による平安宮の修復・整備に伴うものと考えられる。
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信西塚