これでいいのダ

心をラクに生きましょう。どんな日々もオールOKです!

これからの時代

2015-08-17 22:49:17 | 国を常しえに立てます
まわりを見ると、国の外ではトンチンカンな大騒ぎをしていたり、内では近視眼的な自己満足に
浸っていたり、そうした人が大勢を占めていたりするかもしれません。

そうであったとしても、自分は、ただ自分の中心に耳を澄ませて、感じるままに心を向けましょう。

焦ることもなければ、ハラハラすることもありません。
民主主義とか多数決とかに囚われなくても大丈夫です。
みんなに分かって欲しいとか、共に感じてもらおうとか、すべて余計なよそ見でしかありません。

他の人は他の人。
何人いようとも関係ありません。
そんな人ばかりだったとしても、絶望することはありません。
人数は関係ないのです。

この世というのは、多数決でもなければ、100匹目の猿でもありません。
数を揃えようとしなくて、いいのです。
自分は、ただ目の前に集中する。
この世界は、間違いなく1分の1なのです。
その「1」が本物であることが何よりも大切なことです。

それは決して自分だけが本物だという傲慢さとは違います。
本物というのは、他の何にも染まらず、余計なよそ見もしない、天地自然に素直な状態のことです。
天上天下唯我独尊ということです。

人の世で生きるかぎり、話し合いや多数決、和合というのは大事にしなくてはいけません。
ただ、それはそれであって、その条件が満たされなければ世界が変わらないというわけではありません。

数が揃わなければ変わらないということではないですし、数が揃えば変わるということでもありません。

天地自然がどのように雷同しようと、多くの人々がそれでもなお子供のように駄々をこねようとも、
私たちは素の心のままに自然に振る舞うだけです。

自分たった一人に何ができる?とは思わないで下さい。
自分が凄い存在であるか、凄くない存在であるか、そんなことなど何の意味もありません。

自らの行ないで天地宇宙は変わるかもしれませんし、変わらないかもしれません。
そんなことはどうでもいいわけです。

結果など一切気にせず、何も作為せず、ただ心の底から湧き上がる衝動に従って、やりたいように
やるだけです。

感謝を納めて、天地がおさまればそれはそれ。
おさまらなくとも、それはそれ。

そもそも天地がおさまらなくとも、感謝を納めたという事実が、目減りすることありません。
そして、たとえ天地が荒ぶれようとも、感謝を納める思いが、目減りすることもありません。

結果など求めず、また如何なる出目も気にすることなく、ただ今の思いを素直に伝えるだけです。

それで何かが起きても、それはそれ。
素直な心を向けた事実が陰ることなど、1ミリもありません。
のちにどのような結果に会おうとも、自分の心には爽やかな風が吹き抜けていることでしょう。

清々しさに満たされるのは何にも代えがたいことです。

私たちは何もあの世に持って帰れません。
ただ、清らかな風に吹かれた今この瞬間の心地よさだけが永遠なのです。

結果や周囲など気にかけず、ただただ、今の心を素直にあらわしましょう。




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