先週末、鹿児島に行ってきました。
南九州というのは足元からグツグツと沸き立つエネルギーに満ちています。
阿蘇から高千穂、霧島、桜島、錦江湾、開聞岳、屋久島へと縦に走ります。
実際、 太古からこのラインで途轍もない噴火が繰り返され、今なおグツグツと煮えたぎっている
わけです。
先日テレビの特集でも、富士山の噴火というのは関東・東海エリアの被害にとどまるのに対して、
南九州の大噴火となると遠く北海道まで火山灰が降るほどの凄まじさだと言っていました。
確かに、阿蘇のあの広大なエリアが全てカルデラだと言われると、いったいどれほどの山が吹き
飛んだのか、想像しただけでもゾッとします。
そうした噴火跡が阿蘇以外にも点々とあるというのですから、九州というのは全くもってとんでも
ない場所です。
当然のことながら、こうした山の麓には、太古、都が栄えていたことでしょう。
今もそういう場所に行くと、私たち現代人でもその溢れ出る大地のエネルギーをビシビシ感じます。
ましてや自然とともに生き、天地とともに在った人たちならば、それこそ野生の動物たちが水飲み
場に集まるようにそのエネルギーのもとに集まったことでしょう。
それは南九州だけでなく、富士山麓もまた同じだったと思います。
今でも八ヶ岳や富士五湖のまわりには、色々な人たちが集まっています。
今よりもマグマが活発に流動していた時代、そうした場所はもっと強大な大地のエネルギーをほと
ばしらせていたのではないかと思います。
神話の始まりは今の宮崎から鹿児島あたりとなっています。
それ以前に阿蘇山麓や富士山麓に栄えていたものは、日本版ポンペイによって散り散りになったと
考えるのが自然でしょう。
そうした中から、他の豪族との和合を重ねながら、より良い土地へと都を移していく一族が現れた
ということです。
日本列島の活動と合わせるようにして、数千年から数万年の歴史の中でこのような変遷があったと
考えると、この千年や二千年というのは比較的平穏な時代だったと言えるかもしれません。
今回の鹿児島旅行では、開聞岳から桜島、霧島連山、高千穂峰を仰ぎ見てきました。
大地からフツフツと沸き立つエネルギーは未だ健在でした。
屋久島のすぐ隣の口永良部島が噴火し、桜島も相変わらず噴火を繰り返し、そして阿蘇山もまた数年
ぶりの中規模噴火を見せました。
こうした地球の活発なエネルギーが大地を貫いているからこその、日本列島であるわけです。
国常立様とは、大地のエネルギーであり、地球のエネルギーでもあります。
真っ青な肌に憤怒の表情の蔵王権現そのものです。
神話からも想起されるように、それは須佐之男命のエネルギーでもあります。
日本列島では、その大地のエネルギーを氏神、土地神、国つ神、須佐之男命、国常神として大切に
祀るとともに、天照大御神を最高神として天つ神のエネルギーも祀っています。
国つ神とは「国土に充つる神」、天つ神とは「天に充つる神」です。
地に充ち満ちる神々のご神氣(エネルギー)と、天に充ち満ちる神々のご神氣をお祀りする。
全くもって天地合一、隙の無さです。
それだけにとどまらず、先祖を祀ることで、そうした天地の無限の広がりに、さらに悠久の時の広がり
をも付与させています。
時間と空間というのは、心の囚われや滞りによって知らず知らずのうちに翳っていき、遠くボヤけて
しまうものですが、そこにサーッと風を通すことでその滞りを霧散させてしまうわけです。
心に隔たりがなく、天地が無限に広がり、時間も永遠に広がっている感覚というのは、魂本来の
状態と言えます。
まさに天地宇宙と溶け合い、天地人が一つとなった状態です。
そうしたことを理屈っぽく考えたりせず、ただ心のままに自然体で天地を祀り、先祖を祀って
きた神道というのは、文字通り「神ながらの道」であるわけです。
私たちのご先祖様たちは、ごく自然に、天地人が合一する状態を、日々に目指してきました。
それは襟を正すという生真面目さや、清廉たろうという道徳観念によるものではなく、単にその
状態が心地良いからでした。
そして心地が悪い状態をケガレと感じ、その都度スッキリ清潔にしてきました。
そのような気持ちが内から湧き上がるというのも、もとは天地のエネルギーに浴していればこそ
なのでありました。
さて、少し横道に逸れてしまったので鹿児島の話に戻したいと思います。
開聞岳の東、薩摩半島の南端には長崎鼻という岬があります。
ここは浦島太郎伝説の地だそうです。
そう聞いて、全国にある伝説の類だろうと思いながら観光していましたが、思いのほか素晴らしい
場所でした。
長崎鼻には乙姫様を祀った竜宮神社があるとのことでしたが、実際は豊玉姫が祀られていました。
乙姫様と豊玉姫は同一人物と見られたりしますが、豊玉姫となりますと浦島色は薄まり俄然真実味が
増します。
豊玉姫とは、天孫・瓊瓊杵命(ニニギノミコト)の子供である火遠理命(ホオリノミコト)、別名・
彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)のお后様です。
ですから義母が木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)ということになります。
そして息子が鵜草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)で、孫が神武天皇という流れです。
『日本むかし話』にもありました「海幸彦・山幸彦」の話に出てくる山幸彦(=火遠理命)が結婚
したお相手が乙姫様(豊玉姫)です。
そう考えると、指宿周辺に住んでいた豪族の姫が、高天原の一族と婚姻したと見ることも出来ます。
息子の鵜草葺不合命を祀る鵜戸神宮は宮崎県にありますし、その息子の神武天皇も日向(宮崎)から
出征しています。
当初は南九州がヤマトの本拠地だったとすれば、その地の豪族の姫というのも十分有り得る話かと
思います。
後日、霧島神宮で手を合わせた時、龍がヒュルヒュルヒュルと波打ちながら飛んできて鼻先が下に
なって、そこが薩摩半島と大隈半島になっていくイメージが浮かびました。
なるほど、だから先っぽが長崎鼻なのかと。
そしてそこでは、乙姫様になぞらえた豊玉姫が祀られていたわけです。
よくよく考えたら竜宮城というのは、そのまんまです。
子供の時からあまりにも聞きなれた言葉なので、タイやヒラメが舞い踊るきらびやかな御殿を想像
していましたが、そのものズバリ、龍の宮ですからもはや隠語ですらありません(笑)
そこのお姫様というと、これまたそのまんま龍神様のお嬢様ということになります。
古事記では豊玉姫の姿についてワニ(サメ)と書かれていますが、日本書紀では龍と書かれている
そうです。
豊玉姫の父は大綿津見神(オオワダツミノカミ)となっており、いわゆる海神であるわけですが、
竜宮城の主人であるならば、やはり父もまた龍とは無縁でないと考えるのが自然です。
そして日本列島も、龍体の頭のあたる南九州が、まるで火を吐くようにして噴火を繰り返しています。
木花咲耶姫の父、大山祇神(オオヤマツミノカミ)は山の神様として知られています。
このことをもって、天照大御神の一族が海と山の両方を身内にしたと解釈されますが、別の見方も
できるかもしれません。
つまり、肉体と魂という見方です。
この国土は、まず大地としての実体があります。
大地としては大山祇神の系統たる木花咲耶姫を身内としました。
一方、日本の国土は龍体でもあります。
国の霊体として、大綿津見神(海神、龍神)の系統たる豊玉姫を身内とした。
つまり、国土だけでなく国魂も合わせて一つに治めたということです。
土地の統治だけならば盛者必衰となってしまいますが、見えないものも大切にしたとなれば、その
弥栄はとこしえのものとなるでしょう。
そういえば、薩摩半島の篤姫が中央の徳川家に嫁いで孤軍奮闘する姿は、同じく薩摩半島の乙姫様
(豊玉姫)が皇室にお嫁にいく姿と、どことなく重なるのが面白いところです。
篤姫は両藩を護り、そして日本を護りました。
豊玉姫も龍体(国土)を護り、国魂を護ったと言えるかもしれません。
さて、そもそも龍体というのは強大なエネルギーがほとばしる姿の現れでもあります。
大地ではマグマであり、天空では稲妻や風雨となります。
地震のエネルギーもやはり黒い龍のようになり、それはナマズのような姿にも見えるわけです。
実際の龍と、神様と、こうしたエネルギーとは本来は別個のものですが、エネルギーを神様と見て
それを祀る行為は理にかなっていると言えます。
量子の世界を見ても明らかなように、人間の思いは結果に反映されます。
エネルギーに対して、思いを向けるというのは非常に大きな意味を持ちます。
打算的な思いではノイズがひどくなりますが、純粋な感謝ならばクリアに伝わっていくでしょう。
この国土は太古の昔から、活発に流動してきました。
それは龍動と言い換えてもいいかもしれません。
この島にあまねく流れるそのエネルギーで、ご先祖様や今の私たちは生かされてきました。
天地の雷同は、今や当たり前となってしまったおかげさまを改めて知らしめてくれます。
そうしたものを全身の毛穴から鮮明に感じますと、居ても立ってもいられない気持ちになってきます。
有り難く、かたじけなく、申し訳ないというこの思いを、いったいどうすればいいのか。
それを私たちのご先祖様たちは、祀るということで解決しました。
つまり、神社への参拝とは、感謝の気持ちを伝えることが本分ということになります。
土地神である氏神様へ感謝を向けることは、この島に流れるエネルギーへの感謝となり、同時にまた
皇祖神たる天照様への感謝となります。
すなわち、天地への感謝となるわけです。
自分を包むおかげさまへ心を向ければ、大地から溢れるエネルギーに毛穴が開き、天頂から注ぐ
光のシャワーを全身に感じることでしょう。
幾度もの天災に遭いながら、祖先たちは太古からこの地を離れることなく、日々のありがたさを
その全身に浴び続けてきました。
一代や二代という短いスパンではなく、幾千年もの長きに渡って授かってきた恩恵を、今こそ
私たちは思い出す時なのかもしれません。