フィレンツェは街の中心にドゥオーモと呼ばれる大きな教会があります。
オレンジ色に染まった街を見渡せる場所として有名です。
朝の早い時間に行ったのですがまだ中へは入れなかったため、その手前に建つ古い教会に入ることにしました。
その教会はドゥオーモよりも昔に建てられたそうで、中に入ると清らかな静けさが漂っていました。
天井を見上げると、そこにはびっしりと神話の世界が広がっていました。
あとになってよくよく知ることになりますが、こちらの教会では何処もかしこも天井画が凄いことになっているのでした。
天を仰ぐとそこに神世の物語が映し出される。
いま私たちがプラネタリウムを見上げることで宇宙を感じるように、昔の人たちはドーム状の天井画に広大な世界を感じたのでしょう。
その天井画は初期の頃と後期のものでは明らかに違っていて、この古い教会で観た初期のものは心にスッと来ました。
技巧に走ることなく、真面目に純朴に描かれたタッチ。
そこには必死さや苦しさなど無く、本当に素直な心が伝わってきました。
日々の暮らしへの感謝、生かして頂いていることへの感謝、これからも平穏無事に生かして頂きたいという願い。
何百年も重ねられた、純朴な人々の慎ましやかな祈りがそこにはありました。
長椅子に腰掛け、静かにその空気に浸っていますと、不思議なものでそれまでパシャパシャと賑やかに写真を撮っていた人たちがスーッと
静かになって完全な静寂の時が流れました。
そのあとも色々な人たちが来ましたが、その状態はその後そこを去るまで続きました。
本当に芯から静まったとき、その心地というのは周りへと瞬時に伝わっていきます。
それは瞬間的にみんなが温泉に浸かったかのような即効性です。
幸せな心地に触れると私たちは身も心もそれに預け、それ以外の余計なことはしなくなるのでしょう。
その教会をあとにしまして、今度は街で一番大きなドゥオーモ大聖堂へと入場しました。
ただ、残念ながらこちらのほうは観光客のガツガツした物見遊山の氣によって静寂がかき消されてしまっていました。
観光客の喧騒も去ることながら、もとよりその教会自体が先ほどの古い教会と面持ちが異なっていることに気が付きました。
例えば、聖壇の天井画を見上げますと、そこに描かれているのは写実的なタッチの『最後の審判』で、それはどうにも生々しすぎるもの
でした。
救われたい、天国に行きたい、地獄は恐ろしい、でも現世の欲望はあがらいがたい…
そこには感情と欲望の入り混じったものがおどろおどろしく表現されていました。
欲望がとどまることなく溢れ出し、それに流されエネルギーを注いでしまう人々の姿。
そしてそれは大変な罪であるとして、それに悩み苦しみ、最後は地獄に行く。
そのような一枚絵を突きつけられると、何とも救われない気持ちになってしまいました。
そこまで不安を煽るというのはどういうものなのか、それを口にすると非難めいた言葉しか出てこないのでやめておきますが、ただ、
そうした扇動的な意味合いだけでなく、もしかするとそうした罪の意識を植え付けないと自らの欲望に歯止めがかけられないという
理由もあるのかもしれないとも思いました。
実際、明治期に西洋人たちが、宗教的な戒律の無い日本を野蛮で遅れた国だと嘲笑したという話があります。
日本人からすればあまりに当たり前なことだったのですがそう言われてしまったことに慌ててしまい、そうして作られたのが新渡戸稲造の
『武士道』でした。
今となってみれば、どちらが野蛮で遅れた国なのかは言うまでもありませんが、彼らが「人間というのは何かしらの規律や縛りが無いと
欲望を抑えられず獣のように暴走するものだ」と断じていたことは疑いようもありません。
そうであるならば、そうした自分たちの本性というか本質というものは罪深い漆黒の闇であるとして、それに飲み込まれる不安にいつも
怯えていたことが想像できます。
それを自制し、不安を搔き消すために、このような戒めのような天井画が生み出されたと考えることも出来るかもしれません。
その天井画を見ておりますと、不安まみれの暗澹たる世界の中心に、ポッと希望の光が描かれていることに気づきます。
まわりをおどろおどろしく暗いタッチで描きつつ、中央は明るく輝くように描く。
極端な「闇」というストレスに晒された心にとってその明暗の効果は計り知れず、安息の救いとして「明」である中心の光へと私たちは
確実に惹き込まれます。
もちろん、その中心には救世主の姿が描かれています。
そうした効果を狙って描いているのか、あるいは本当に救いとして描いているのかは分かりませんが、本来、中心に輝くその光というのは
他の誰かではなく、私たち自身のことであります。
私たち自身の放つ光を擬人化したに過ぎません。
この天井画はすべてが正しいものでしょう。
中心に輝く光も真実です。
ただ、それは誰かではなく、この私たちであるわけです。
天井画に描かれているすべて、隅々で苦しみのたうちまわる姿から、中心で光輝く姿まで、そのすべては、私たち自身の内を表すものだと
思います。
恐れおののく必要などない話です。
闇もあれば光もあるのが当たり前。
誰であろうとも、闇だけなんてことはありませんし、光だけなんてことも無いわけです。
それらは、もとよりこの天地宇宙に遍在しています。
光だけを求めるから辿り着けなくなる。
闇を忌み嫌うから苦しくなる。
この絵が助長させているそれらの思いというのは、そもそもの天地の理からしてもおかしなことと言わざるを得ません。
その中心の光が神の子であるとするならば、すなわち神の子とは私たち自身を指すことになります。
ということはつまり「この世の終わりに復活して、私たちの前に姿を現し、私たちを救う」というのは、まさしく私たちの真我という
ことになりはしないでしょうか。
救世主とは私たち自身。
まさしく、自ら助くる者を助くであります。
おそらく御本人こそ、そのように説いていたのではないかと思うのです。
他人に依らず、自身に依りなさい、と。
だからこそ書を残すこともなかったというのは仏陀にも通ずるところでしょう。
何処まで行っても晴れることのない苦しさというのは、不条理さに対する考え方に因るところもあります。
この世界というのは不条理だらけで、なかなかそれを納得するのは難しいものです。
ただ日本に生きていますと、天災は日常茶飯事ですし、田畑も家も人も簡単に失われていきます。
そうして「いつまで引きずっても仕方がない」という諦めが繰り返され、ついに不条理も受け入れるようになります。
この世とはそもそも不条理なもの。
不条理なのが当たり前。
だからこそお蔭様に感謝をする。
見えない闇にはただ畏れ入り、謙虚になる。
一方で、日本と違って天災の少ない土地に在りますと、同じ景色、同じ現実というものが長らく続くことになります。
家も壊れない。
村も壊れない。
家族も奪われない。
実際、ヨーロッパに行きますと築100年などザラで、数百年以上たつものもアチコチにあります。
日本の基準では有り得ないような、見るからに危なそうな石造りの建物や彫刻装飾が何百年も残り続けています。
そうしますと「当たり前」というものが自ずと変わってきます。
つまり、自分を取り囲む環境が壊れないのが当たり前になってまいります。
しかし、そのような中でも不条理なことは当然起こります。
日本人は天災の脅威のおかげで、大自然は克服するものではなく共に生きるもの、寄り添うものと考え、自然環境の方に自らを合わせて
生きてきました。
我を通しても、そのすぐそばから天災によって全てひっくり返されてきました。
ですから、不条理に対しても耐性があるというか、諦めて受け入れられる素地が形成されました。
ただ、天災が少ないと、自分たちの住みやすいように自然環境を作り変えていくことができ、その景色が長らく保たれることになります。
つまり、自分たちの方に、自分を取り巻く環境を合わさせて生きるような格好になっていきます。
すると、不条理な出来事が起きた時に、なかなかそれを受け入れられず悩み苦しみ、何とかそれを理屈で解釈しよういう風になって
しまいます。
当たり前なことを失うのには何か理由があると。
その結果、自分たちはそもそも罪深い生き物であり、生まれた時からそれを背負っている、という世界観が創られました。
天地宇宙の条理とは、人間の価値判断の中に収まるものではありません。
そもそも人間の理屈などで説明つくものではないわけです。
しかし、何かしら納得する理屈がないと悶々とした気持ちが抑えられない。
そうした結果、辿り着いたのが、罪人であるのだから仕方ないという論理でした。
教会に行きますと、その中央には磔の像が置かれてます。
それは日本にあるものと違って、非常に生々しく再現されています。
事前に何の知識がなくてもその映像は見ただけで胸の痛まない人は居ないと思います。
そこでそれにまつわる史実が頭に蘇ると、自分たちもそこに居た当事者たちと同罪であるような申し訳ない思いが湧き上がり、赦しを請う
気持ちになってまいります。
十字架というのは、まさに私たち人間が罪人であることを想起させる象徴だと言えるでしょう。
しかし、例えば幼子に対して、あなたはとても良い子だと語りかけながら育てるのと、本当は悪い子なのだと諭しながら育てるのとでは
どちらが光を輝かせるかということです。
「光は我らの内になく、光は天にある」という前提に救いはあるのかです。
これ以上はやめておきますが、一つはっきりしているのは、そうした教義の中にあっても透き通った人たちも大勢いるということです。
ここからが今回一番言いたかったことでもありますが、教義や環境に私たちは流されやすいということはあるにせよ、最後の最後は私たち
自身がどうであるかによって決まるということです。
それが本当の『最後の審判』です。
たとえその教え自体が外へと救いを求めるものであっても、自ら救いを願い求める対象が自分自身ではなく、他の誰かへと向けられた場合
その構図は一変します。
自らの救いを外に向けてしまうのは我欲でしかありませんが、誰かの救いを求めるのは祈りとなるからです。
すなわち前者は、私たちの内なる光を陰らせるのに対して、後者は、逆にそれを輝かせることになるということです。
誰かのための祈りとは自らの内に火をともすことであり、灯台のごとくその相手に光を注ぐことになります。
それはまさしく自灯明の一つの姿です。
私心のない透き通った祈りや感謝の心は、いつの世にあっても、光そのものであり、天地宇宙そのものと成ります。
奇跡というものは天の誰かが起こすものではなく、私たちが互いの光を灯すことによって起きるものです。
分厚く覆われた暗雲を、私たちの内なる光が吹き祓うことで、相手の内なる光が輝きだします。
どちらか一方の光だけで奇跡が起きることは有り得ません。
つまり、一方向的なおすがりやお助けというものは有り得ないわけです。
大聖堂の中では、何かを強く求める思いと、ただ純粋な感謝と、そうした正反対の心がないまぜになっていました。
我執の心と、無私の心、それぞれが存在していました。
それは手を合わせる人たち、一人一人の違いによるものであるわけです。
そしてそれは何も大聖堂に限らず、世界中どこでも、日本の神社やお寺であっても同じことが言えるでしょう。
どのような環境にあっても、結局は私たち自身がどのようにあるかで180°変わってきます。
それは異国にあってもそうですし、いま私たちの居るこの日本にあっても同じことです。
たとえ内なる光を讃える国にあっても、おすがりやお願いごとを求めてしまっては結果は同じ、抜け出すことのできない天井画の世界に
なってしまいます。
ささやかな暮らしへの感謝。
いま生かして頂いていることへの感謝。
そして、誰かの幸せを思う心。
私たちの内に広がる混濁の中にあって、そのような透き通った祈りや感謝こそが、あの天井画の中心に燦然と輝く光となるのではないかと
思います。
(つづく)
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オレンジ色に染まった街を見渡せる場所として有名です。
朝の早い時間に行ったのですがまだ中へは入れなかったため、その手前に建つ古い教会に入ることにしました。
その教会はドゥオーモよりも昔に建てられたそうで、中に入ると清らかな静けさが漂っていました。
天井を見上げると、そこにはびっしりと神話の世界が広がっていました。
あとになってよくよく知ることになりますが、こちらの教会では何処もかしこも天井画が凄いことになっているのでした。
天を仰ぐとそこに神世の物語が映し出される。
いま私たちがプラネタリウムを見上げることで宇宙を感じるように、昔の人たちはドーム状の天井画に広大な世界を感じたのでしょう。
その天井画は初期の頃と後期のものでは明らかに違っていて、この古い教会で観た初期のものは心にスッと来ました。
技巧に走ることなく、真面目に純朴に描かれたタッチ。
そこには必死さや苦しさなど無く、本当に素直な心が伝わってきました。
日々の暮らしへの感謝、生かして頂いていることへの感謝、これからも平穏無事に生かして頂きたいという願い。
何百年も重ねられた、純朴な人々の慎ましやかな祈りがそこにはありました。
長椅子に腰掛け、静かにその空気に浸っていますと、不思議なものでそれまでパシャパシャと賑やかに写真を撮っていた人たちがスーッと
静かになって完全な静寂の時が流れました。
そのあとも色々な人たちが来ましたが、その状態はその後そこを去るまで続きました。
本当に芯から静まったとき、その心地というのは周りへと瞬時に伝わっていきます。
それは瞬間的にみんなが温泉に浸かったかのような即効性です。
幸せな心地に触れると私たちは身も心もそれに預け、それ以外の余計なことはしなくなるのでしょう。
その教会をあとにしまして、今度は街で一番大きなドゥオーモ大聖堂へと入場しました。
ただ、残念ながらこちらのほうは観光客のガツガツした物見遊山の氣によって静寂がかき消されてしまっていました。
観光客の喧騒も去ることながら、もとよりその教会自体が先ほどの古い教会と面持ちが異なっていることに気が付きました。
例えば、聖壇の天井画を見上げますと、そこに描かれているのは写実的なタッチの『最後の審判』で、それはどうにも生々しすぎるもの
でした。
救われたい、天国に行きたい、地獄は恐ろしい、でも現世の欲望はあがらいがたい…
そこには感情と欲望の入り混じったものがおどろおどろしく表現されていました。
欲望がとどまることなく溢れ出し、それに流されエネルギーを注いでしまう人々の姿。
そしてそれは大変な罪であるとして、それに悩み苦しみ、最後は地獄に行く。
そのような一枚絵を突きつけられると、何とも救われない気持ちになってしまいました。
そこまで不安を煽るというのはどういうものなのか、それを口にすると非難めいた言葉しか出てこないのでやめておきますが、ただ、
そうした扇動的な意味合いだけでなく、もしかするとそうした罪の意識を植え付けないと自らの欲望に歯止めがかけられないという
理由もあるのかもしれないとも思いました。
実際、明治期に西洋人たちが、宗教的な戒律の無い日本を野蛮で遅れた国だと嘲笑したという話があります。
日本人からすればあまりに当たり前なことだったのですがそう言われてしまったことに慌ててしまい、そうして作られたのが新渡戸稲造の
『武士道』でした。
今となってみれば、どちらが野蛮で遅れた国なのかは言うまでもありませんが、彼らが「人間というのは何かしらの規律や縛りが無いと
欲望を抑えられず獣のように暴走するものだ」と断じていたことは疑いようもありません。
そうであるならば、そうした自分たちの本性というか本質というものは罪深い漆黒の闇であるとして、それに飲み込まれる不安にいつも
怯えていたことが想像できます。
それを自制し、不安を搔き消すために、このような戒めのような天井画が生み出されたと考えることも出来るかもしれません。
その天井画を見ておりますと、不安まみれの暗澹たる世界の中心に、ポッと希望の光が描かれていることに気づきます。
まわりをおどろおどろしく暗いタッチで描きつつ、中央は明るく輝くように描く。
極端な「闇」というストレスに晒された心にとってその明暗の効果は計り知れず、安息の救いとして「明」である中心の光へと私たちは
確実に惹き込まれます。
もちろん、その中心には救世主の姿が描かれています。
そうした効果を狙って描いているのか、あるいは本当に救いとして描いているのかは分かりませんが、本来、中心に輝くその光というのは
他の誰かではなく、私たち自身のことであります。
私たち自身の放つ光を擬人化したに過ぎません。
この天井画はすべてが正しいものでしょう。
中心に輝く光も真実です。
ただ、それは誰かではなく、この私たちであるわけです。
天井画に描かれているすべて、隅々で苦しみのたうちまわる姿から、中心で光輝く姿まで、そのすべては、私たち自身の内を表すものだと
思います。
恐れおののく必要などない話です。
闇もあれば光もあるのが当たり前。
誰であろうとも、闇だけなんてことはありませんし、光だけなんてことも無いわけです。
それらは、もとよりこの天地宇宙に遍在しています。
光だけを求めるから辿り着けなくなる。
闇を忌み嫌うから苦しくなる。
この絵が助長させているそれらの思いというのは、そもそもの天地の理からしてもおかしなことと言わざるを得ません。
その中心の光が神の子であるとするならば、すなわち神の子とは私たち自身を指すことになります。
ということはつまり「この世の終わりに復活して、私たちの前に姿を現し、私たちを救う」というのは、まさしく私たちの真我という
ことになりはしないでしょうか。
救世主とは私たち自身。
まさしく、自ら助くる者を助くであります。
おそらく御本人こそ、そのように説いていたのではないかと思うのです。
他人に依らず、自身に依りなさい、と。
だからこそ書を残すこともなかったというのは仏陀にも通ずるところでしょう。
何処まで行っても晴れることのない苦しさというのは、不条理さに対する考え方に因るところもあります。
この世界というのは不条理だらけで、なかなかそれを納得するのは難しいものです。
ただ日本に生きていますと、天災は日常茶飯事ですし、田畑も家も人も簡単に失われていきます。
そうして「いつまで引きずっても仕方がない」という諦めが繰り返され、ついに不条理も受け入れるようになります。
この世とはそもそも不条理なもの。
不条理なのが当たり前。
だからこそお蔭様に感謝をする。
見えない闇にはただ畏れ入り、謙虚になる。
一方で、日本と違って天災の少ない土地に在りますと、同じ景色、同じ現実というものが長らく続くことになります。
家も壊れない。
村も壊れない。
家族も奪われない。
実際、ヨーロッパに行きますと築100年などザラで、数百年以上たつものもアチコチにあります。
日本の基準では有り得ないような、見るからに危なそうな石造りの建物や彫刻装飾が何百年も残り続けています。
そうしますと「当たり前」というものが自ずと変わってきます。
つまり、自分を取り囲む環境が壊れないのが当たり前になってまいります。
しかし、そのような中でも不条理なことは当然起こります。
日本人は天災の脅威のおかげで、大自然は克服するものではなく共に生きるもの、寄り添うものと考え、自然環境の方に自らを合わせて
生きてきました。
我を通しても、そのすぐそばから天災によって全てひっくり返されてきました。
ですから、不条理に対しても耐性があるというか、諦めて受け入れられる素地が形成されました。
ただ、天災が少ないと、自分たちの住みやすいように自然環境を作り変えていくことができ、その景色が長らく保たれることになります。
つまり、自分たちの方に、自分を取り巻く環境を合わさせて生きるような格好になっていきます。
すると、不条理な出来事が起きた時に、なかなかそれを受け入れられず悩み苦しみ、何とかそれを理屈で解釈しよういう風になって
しまいます。
当たり前なことを失うのには何か理由があると。
その結果、自分たちはそもそも罪深い生き物であり、生まれた時からそれを背負っている、という世界観が創られました。
天地宇宙の条理とは、人間の価値判断の中に収まるものではありません。
そもそも人間の理屈などで説明つくものではないわけです。
しかし、何かしら納得する理屈がないと悶々とした気持ちが抑えられない。
そうした結果、辿り着いたのが、罪人であるのだから仕方ないという論理でした。
教会に行きますと、その中央には磔の像が置かれてます。
それは日本にあるものと違って、非常に生々しく再現されています。
事前に何の知識がなくてもその映像は見ただけで胸の痛まない人は居ないと思います。
そこでそれにまつわる史実が頭に蘇ると、自分たちもそこに居た当事者たちと同罪であるような申し訳ない思いが湧き上がり、赦しを請う
気持ちになってまいります。
十字架というのは、まさに私たち人間が罪人であることを想起させる象徴だと言えるでしょう。
しかし、例えば幼子に対して、あなたはとても良い子だと語りかけながら育てるのと、本当は悪い子なのだと諭しながら育てるのとでは
どちらが光を輝かせるかということです。
「光は我らの内になく、光は天にある」という前提に救いはあるのかです。
これ以上はやめておきますが、一つはっきりしているのは、そうした教義の中にあっても透き通った人たちも大勢いるということです。
ここからが今回一番言いたかったことでもありますが、教義や環境に私たちは流されやすいということはあるにせよ、最後の最後は私たち
自身がどうであるかによって決まるということです。
それが本当の『最後の審判』です。
たとえその教え自体が外へと救いを求めるものであっても、自ら救いを願い求める対象が自分自身ではなく、他の誰かへと向けられた場合
その構図は一変します。
自らの救いを外に向けてしまうのは我欲でしかありませんが、誰かの救いを求めるのは祈りとなるからです。
すなわち前者は、私たちの内なる光を陰らせるのに対して、後者は、逆にそれを輝かせることになるということです。
誰かのための祈りとは自らの内に火をともすことであり、灯台のごとくその相手に光を注ぐことになります。
それはまさしく自灯明の一つの姿です。
私心のない透き通った祈りや感謝の心は、いつの世にあっても、光そのものであり、天地宇宙そのものと成ります。
奇跡というものは天の誰かが起こすものではなく、私たちが互いの光を灯すことによって起きるものです。
分厚く覆われた暗雲を、私たちの内なる光が吹き祓うことで、相手の内なる光が輝きだします。
どちらか一方の光だけで奇跡が起きることは有り得ません。
つまり、一方向的なおすがりやお助けというものは有り得ないわけです。
大聖堂の中では、何かを強く求める思いと、ただ純粋な感謝と、そうした正反対の心がないまぜになっていました。
我執の心と、無私の心、それぞれが存在していました。
それは手を合わせる人たち、一人一人の違いによるものであるわけです。
そしてそれは何も大聖堂に限らず、世界中どこでも、日本の神社やお寺であっても同じことが言えるでしょう。
どのような環境にあっても、結局は私たち自身がどのようにあるかで180°変わってきます。
それは異国にあってもそうですし、いま私たちの居るこの日本にあっても同じことです。
たとえ内なる光を讃える国にあっても、おすがりやお願いごとを求めてしまっては結果は同じ、抜け出すことのできない天井画の世界に
なってしまいます。
ささやかな暮らしへの感謝。
いま生かして頂いていることへの感謝。
そして、誰かの幸せを思う心。
私たちの内に広がる混濁の中にあって、そのような透き通った祈りや感謝こそが、あの天井画の中心に燦然と輝く光となるのではないかと
思います。
(つづく)
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