カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

年度が替わると先生方は大変だ

2013-03-08 | ことば

 キラキラネームという言葉を知ったのは宇多田ヒカルのおかげだ。政党名の「国民の生活が第一」というのを受けて、ツイッターでキラキラネームと揶揄したとのこと。有名人の発言に盛り上がり報道が乗ったおかげで僕のような人間も知ることが出来た。
 発言の趣旨はまったくその通りで、自分の名前もヒカルというカタカナであることも含めて、面白い空気を作っていると思う。命名にはつけた人にはそれなりに思いがあってのこととは思うが、それを見た人や受け止める人のことをあんまり考えてない場合も多いのかもしれない。自分の子供なら自己満足でも(ある程度は)いいのかもしれないが、政党名にそのセンスはあんまりだというのが、まあ、それなりに普通の感覚なんではなかろうか。ところで今もこの政党ってあったんだっけ?
 僕はキラキラネームとかDQNネームとか言われるものは正直言って気持ちの悪さしか感じないが、ある意味でそういう名前の人がいるのは、出会った時点で先入観が出来上がっていいこともあるかもしれないとは思う。少なくとも親はかなりの馬鹿であることは分かる訳で、遺伝や環境の影響を受けている可能性があるくらいは分かりえるのである。そうでなければ意外性があって好感度もあがる訳で、それもまあ良しとしようではないか。
 将来的な問題としては、いや、既に現在もそうかもしれないのだが、そのような名前というのがそれなりに市民権を得ている社会になってしまっていることではなかろうか。分かりえない事を当然として対処しなければならない社会というのは、住みやすいのか否か。またそのような事を容認している人が多数の社会というものの変貌に、はたして自分自身が適応できるものであろうか。
 しかしまあ、こういうのはあくまで感覚だから、どうでもいい人が多くなれば、さらにどうでもいいという連鎖が起こるということでもあり、さらにそうであるならばと過激になって、読めないどころで無い名前になる可能性もある。
 前にプリンスという米国ミュージシャンが、名前を発音できない記号にしたことがあった。仕方がないから皆「元プリンス」というしかなかった。結局名前は元に戻したようだが、コミュニケーション不能に陥るし、実害の方が大きかったのであろう。
 ちなみにこのプリンスは本名がプリンスで、ある意味では古典的なキラキラ命名の親である可能性がある。いや、実のところ、諸外国の方がこの傾向は既に目が当てられない状況になっているのかもしれない。世界的な馬鹿の連鎖ということであるのなら、やはり何か分かりえない価値観を大切にしている人々が増えているということなのであろう。
コメント
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