急いでいる時にはカレーと決めていた事もある。カレーならルーをかけるだけだから早い筈だ。事実早い場合が多いが、中にはサラダなどがセットになっていて、もったいぶって、順番を待たなければならないことがある。急いでいると告げて注文する必要があるかもしれない。
とにかく喫茶店のようなところでもカレーくらいはあるということがあって、オフィス街のようなビルの一角でもカレーというのはありつける種類のようだ。妙に凝っているマスターなんかがいたりして、感想を聞かれたりするのが面倒なこともあるが、それなりに旨かったのなら素直に答えれば済むことだ。問題はそうでない場合ということか。
駅の中にもカレー屋というのは多いようだ。カウンターに並んでカレーを食う。妙に競争心に駆られて急いでしまう。なんで慌ててているのか疑問を感じることは無い。食べ終わって時間が余ったりして、どこでどうして時間をつぶそうか、と悩んでしまったりする。
水をたくさん飲むので、セルフサービスだと食いかけの雰囲気を醸し出す必要もある。うかつに席を立つと「ありがとうございました」と言われてしまう。もちろんボトルのようなものを置いている店は多いが、ちょうど近くにあるとは限らない。ポジショニングというのも整えておく必要があるかもしれない。
当たり外れが少ないからカレーを頼んでいるのに、たまにこれは何だろう? という不思議な味のカレーに出会う事がある。世の中には多様性も必要だと思うが、そういうものに当たってしまう不運のことも考慮できないものだろうか。本当にボンカレーである場合もあるが、それはそれで食べることは可能だ。それで無くて何を仕込んでいるのか不安になる味というものがあって、本当に他の人から注文があるのだろうかという味である。泣きたくなりながら、それでも食ってしまう自分が情けない。
喫茶店系で、ものすごく大盛りの店というのがある。さらにカツカレー系に多くて、地元の若者や労働者に優しいのかもしれない。しかし妙にチャレンジ心をくすぐる大盛りという感じもして、心してがつがつ食うしかない。あんまり量が多くて、途中で食うのにも飽きてしまうことになっても、やはり悲しいかな粘り腰で食ってしまう。誰も褒めてくれなくて、さらに悲しい。
ただ、急いでいても大量に汗をかいてしまう危険もあって、さらに食った後に電車やバスに乗らなければならない場合があって、汗だくで鞄と背広抱えて人ごみの中にいなければならないのはとてもつらい。急いでいても選択するべきなのかどうか、微妙な分野なのかもしれない。