カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

自国だけの問題ではないけれど

2013-03-22 | ことば

 諸外国で日本人がよく訪れるところでは日本語の案内が見られるはずである。よく見ると誤字があったり、そもそもの文法が間違っていたり、なかなか意味の分からないものがあったりして、それなりに楽しい。まあ、楽しいうちはいいかもしれないが、ひょっとしたら却ってそのような表記による実害というのもあるかもしれない。
 言語が広がりを見せるのはこのような経済問題だが、日本語の広がりよりも将来的には英語や中国語という分野のものが影響は大きいだろう。特に英語は既にそういう言語になってしまっており、恐らく、いちばん乱れた表現が日々生み出されているに違いない。以前の日本製品の英語表記がおかしいというのは英語圏のジョークにはよく見られた現象であったが、日本以外の国でもおかしな英語を大量に生産していることであろう。
 研究分野などでは英語でコミュニケーションをとろうという動きは以前からあったようだが、その結果英語を添削するという作業が必要になっているようである。多少変な英語でもいいのだけれど、研究者すべてが英語が上手い必要は、当たり前だが最初からあるわけがない。仕方がないので添削してもらうより無いだろう。英語が堪能な日本人の研究者の英語が完璧すぎて、本人の研究では無いと疑われるケースもあるのだという。上手く書き過ぎてもいけない訳で、日本人の英語が駄目だと嘆いているくらいでちょうどいいのかもしれない。実際のところ若いうちでなければ他の言語の習得がむつかしいのは脳の機能であることは証明されていて、日本人の能力の問題なのではない。自分の言語で無いのなら、最初から適当に上手くなる程度がいいということのようだ。
 将来的に世界の言語が英語化してしまったり、また中国語化してしまうというような事は極めて考えにくい未来だ。むしろメジャーな言語は分離化していく傾向にあり、将来的には乱れた(たとえば)英語こそ本来的な実用のものになるということだろう。英語圏の人だけが妙に感じるものが主導権を握るという可能性がある訳で、何がおかしいなどと言っている人の方が取り残されるような、妙な逆転現象が来るべき将来像という気がする。
 言語の将来性はつまるところおそらく経済問題である。日本語が無くなるとしたら、経済をおろそかにしたツケということになるだろう。今は日本語の発信のものであっても、広く世界的に翻訳されるようになっている。日本の考え方はそれなりの興味を保っているというべきなのだろう。将来的にはそのような力をどのように維持するだとか伸ばすのかということを考えたり心配すべきであるようで、言葉の面だけを取り上げて杞憂しても始まら無いのではないだろうか。
コメント
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