カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

飛行機乗る前に観る選択をすべきだったかは疑問だが   フライト

2013-03-12 | 映画

フライト/ロバート・ゼメキス監督

 アルコール依存症にはどんな人がなるのだろうか。それが分かれば苦労はしないが、しかし分かっても苦労は減らないかもしれない。アル中には自覚があるのかというのは、確実にあるはずだと思う。そのことを隠そうとしているかというと、やはりそうである人は多いだろう。まったく自覚の無いまま、アル中で居られる人というのは、存在できるのだろうか。しかし、そのような自覚というか罪悪感が、さらに飲酒への誘惑と過激さにつながっている疑いもある。時と場合によっては、酒を飲むことは合法である。飲んで駄目だという場合の方が、実のところそんなに無いかもしれない。しかしアル中の人が飲んでいいのかという問題があって、これはかなり明確にいうことが出来ると思うが、絶対に駄目だということだ。アル中が治療で治る例も絶対に無いとは言えないようだが、ほとんどの人は、いわゆる治ることはありえない。答えは100%明確で、アル中である人は酒をやめる以外に無い。酒との相性の悪い人間に生まれたということがすべてあって、人間社会だから飲んでいいということにはならないのである。
 しかしながらやはり誤解があるようで、酒は飲んでもいいのであるから、アル中であろうとなかろうと酒を飲ませようとする環境がある。未成年には厳しくというのは法律だが、アル中をシラフで見分けるのが難しいためか、アル中が飲んでは駄目だということは外部から規制できない。それが最大の問題だと言えて、つまり、本人に止める意思が無ければ、アル中の状態から抜け出すことはできない。さらに厄介なのは、やめたくても、酒はどこにでも手に入る。本人が悪いのは分かるが、しかしその苦しみは、なかなかまわりには分かりえない。いや、まわりも苦しいから、本人から離れるしか方法が無くなってしまうのかもしれない。
 物語はサスペンスで、非常な窮地に陥っている主人公がそれなりに上手く立ち回っている現実を描いている。飲んでいてもこれだけ上手く日常をやりくりできるのであれば、ある意味では問題は少ない。家族が見離したのは、恐らくそれではすまない日常があったはずなのだが、そういうところは、何となく隠されている。普通のアル中は、飲んだせいで仕事が出来なくなるために問題が膨らむ訳だから、そもそもこのような状況を起し得るかどうかが疑問ではある。しかしそれではこの物語自体が成り立たないから、お話しにすらならない前提ということだろう。ならば特殊な例だが、そのおかげでお話は大変に面白くなっている訳で、文句を言うつもりはない。さらにもっと宣伝しておくと、アル中の人こそこの映画は観るべきだと思う。また、そのようなことに関わりの無い、酒に疎い人も見ておいて勉強にはなるだろう。いや、理解できない人もいるかもしれないが、そのような人にとっても、自分に嘘をつかない切実な生き方の大切さは分かるかもしれない。
 人間が生きている社会というのは、それなりに嘘が混ざっていて正常である。しかし、自分自身に嘘をついて生きていくことは、実は大変につらいものがある。嘘をつき続けて生きられるほど、世の中は単純ではないということかもしれない。特に関係の深い間柄において、明らかな嘘の上に信頼は成り立たない。そういう当たり前のことに気づいていないのならば、その人は本当にしあわせなのだろうか? そういう疑問にもある一定の答えが見出せるかもしれないのであった。
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