古典の新しさを観る
丹下左膳余話・百万両の壺/山中貞雄監督
のんびりしているというか、それでいてかなり滑稽というか、ふざけているようでいて、人情的であるというか、妙な味があって、それでいて現代的に洒落っ気があるという変な名作コメディである。
基本的に落語のようなお話なんだけれど、百万両の価値のあるという壺をめぐって、まわりの人間がいろいろと翻弄されていく。知っている人と知らない人がいるコントラストも面白いが、妨害が入るその理由もなんとも間抜けな感じである。人も死んで深刻な事態になっても、どこか飄々としている。しかしその裏では信頼や愛情や人間の深い感情も、ちゃんと読みとれるようになっている。コメディといったが、なかなかそのあたりも面白いお話しという気がする。
そういうこともありながら、やはりなんでこのような見事な演出というのが、その後日本映画の本流にならなかったのか、ということが不思議に思える。このような機微が段々と分からなくなっていく世論的な背景があるのではなかろうか。ハリウッドの映画にしても、過去の作品にはこのような洒落っ気のあるものは結構見られるのだけれど、現代的になるにつれ、段々と単純で大げさなものになり下がっていくようにも思える。西洋にしろ東洋にしろ、時代は段々幼稚化していくような流れなのかもしれない。
もっともその時代の人が、この表現をよく理解していたのかどうかは、今となってはよく分からないことで、やはり分からなくなっている背景が、そのような演出への要望となったということなのかもしれないのである。それでいいという多数派の意見なんかを聞いている弱い人間が多くなると、やはり世の中というのは単純にならざるを得ないということなのであろう。
それにしても、そのように優れた演出であるからこそ、実は多くの人がこの映画を忘れないということにつながるのである。やはり、残るというのはそのような価値を見出せる人のつながりのなせる業である。名作や古典というのは、しかし観られるという機会が、やはりどうしても少なくなりがちであると思う。どういうきっかけがあるのかという出会いが必要で、時折強制的にでも、いや定期的にでもそのような機会を作るという取り組みは必要なことかもしれない。そうして現代的にもその価値は再評価されていくに違いなくて、その影響を受けて、また新しいものが生まれていくのであろうと思う。
まあ、堅いことを抜きにしても、普通に楽しめる映画なのだから楽しんだらいいのである。そうして、やっぱりこんな映画を観たいな、という思いを新たにしていくことが、大切なことなんだと思った訳である。
丹下左膳余話・百万両の壺/山中貞雄監督
のんびりしているというか、それでいてかなり滑稽というか、ふざけているようでいて、人情的であるというか、妙な味があって、それでいて現代的に洒落っ気があるという変な名作コメディである。
基本的に落語のようなお話なんだけれど、百万両の価値のあるという壺をめぐって、まわりの人間がいろいろと翻弄されていく。知っている人と知らない人がいるコントラストも面白いが、妨害が入るその理由もなんとも間抜けな感じである。人も死んで深刻な事態になっても、どこか飄々としている。しかしその裏では信頼や愛情や人間の深い感情も、ちゃんと読みとれるようになっている。コメディといったが、なかなかそのあたりも面白いお話しという気がする。
そういうこともありながら、やはりなんでこのような見事な演出というのが、その後日本映画の本流にならなかったのか、ということが不思議に思える。このような機微が段々と分からなくなっていく世論的な背景があるのではなかろうか。ハリウッドの映画にしても、過去の作品にはこのような洒落っ気のあるものは結構見られるのだけれど、現代的になるにつれ、段々と単純で大げさなものになり下がっていくようにも思える。西洋にしろ東洋にしろ、時代は段々幼稚化していくような流れなのかもしれない。
もっともその時代の人が、この表現をよく理解していたのかどうかは、今となってはよく分からないことで、やはり分からなくなっている背景が、そのような演出への要望となったということなのかもしれないのである。それでいいという多数派の意見なんかを聞いている弱い人間が多くなると、やはり世の中というのは単純にならざるを得ないということなのであろう。
それにしても、そのように優れた演出であるからこそ、実は多くの人がこの映画を忘れないということにつながるのである。やはり、残るというのはそのような価値を見出せる人のつながりのなせる業である。名作や古典というのは、しかし観られるという機会が、やはりどうしても少なくなりがちであると思う。どういうきっかけがあるのかという出会いが必要で、時折強制的にでも、いや定期的にでもそのような機会を作るという取り組みは必要なことかもしれない。そうして現代的にもその価値は再評価されていくに違いなくて、その影響を受けて、また新しいものが生まれていくのであろうと思う。
まあ、堅いことを抜きにしても、普通に楽しめる映画なのだから楽しんだらいいのである。そうして、やっぱりこんな映画を観たいな、という思いを新たにしていくことが、大切なことなんだと思った訳である。