カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

日本の平和が恐ろしい

2014-07-04 | 時事

 集団的自衛権の容認については、ほとんど今から戦争になりそうな勢いになっている。日本人ってそんなに戦争が好きだったのか、と驚くばかりだ。安倍さんが戦争をしたがっているとか、地球の裏側にいって戦争をやらなくてはならないことになったということになっているらしい。相手はどこだろう? ブラジルあたりは裏側だけどな。安倍さんが何で戦争をしたいのかは分からないんだけど、極悪非道なんだからしたくなっているということなのかもしれない。それに誰もそのことを諌めないらしいし。まあ、素直に考えるならば、米国の言うことに返答する必要があるのだろうし(そういう立場だ)、どのような選択が、日本の平和につながるかの手段についての選択違いということだろうと思う。安倍さんじゃなくて、このような選択をすべきだというのは、もうかなり前から議論があって、エネルギー問題や、地政学上の近隣の危機感から鑑みて、憲法改正がそれなりのハードルがある以上、このような一般的にはどの国も自然に持っているはずだけど、どうしても日本だけが敗戦国だったし国民理解が無いので持っていなかった自衛権を持てるように防衛しようという考えが、今のような形になったということだろうと思う。日本は米軍を排して強大な軍事大国になって自国防衛するわけにはいかないわけで、平和を希求する手段としては、姑息的だがこのような方法を取らざるを得ないのだろう。これがダメなら別の案を持っているはずの別の勢力に国民は投票すればいいのだから、非民主的に妨害してテロまがいの自殺者まで出すという異常なことをやってまでこのような動きを封じることは、単なる思想を超えて危険なだけでなく、民主主義の敗北ということになるだろう。日本という国は、北朝鮮とそんなに違わない国だという証明をしたいのかもしれない。
 今のところ無責任な人だからそういう騒ぎをやってもいいということなのかもしれないが、だからこの動きがそのままであったとしても、本当に国民の多数が投票行動として安陪さんを支持しないのかは限りなく疑わしい。これだけ誤った考えが表面に出てびっくりしている人が多いにしても、戦争したくないという考えにどちらにも違いは無いわけだし、北からの脅威がさらに増しているような事態がつづいていることを考えると、今のような反応というのが果たして何だったのかというのは、たぶん忘れてしまう人が多いのではなかろうか。現実的に動くことしかこの国は守りえないわけで、神を信じてない国民が神頼みして平和がつづいてよかったね、というのは、米国がいつまでも現実神としてたまたま日本を防護しているだけのことだったりするわけだ。もう米国さんもこれは勘弁してくれよ、と普通思いますよね。僕が米国人だったら間違いなくそう思う。もう好きにしていいから、じゃあ同盟関係も解消させてくれないだろうか。でも、日本の軍国化も良くないし、しばらく付き合ってやらないと仕方ないんだよなあ、ということであろう。
 また海外派遣させられる自衛隊の人たちのことを本当に考えていくなら、他国から煙がられて危険な思いをして何も得るものが無いが拒否できないわけで、本当に切なく可哀想である。それでもまだまだ対等ではないにせよ、集団的自衛権があるということになれば、いくらなんでも米国さんには、もう少し考えて欲しいという意見くらいはいえるようになるだろう。今のままでは要請されるまま、法を曲げて無理に派兵させられ続けるだけのことである。より危険に対してシビアな感覚を持ちうるわけで、派遣以前の国際紛争にも、それなりの発言権は増すことになるだろう。米国の二票が、米国の1.5票くらいにしかならないかもしれないけど。それでも精神的には、ずいぶんマシなことには違いないだろう。
 それよりも何よりも、今の国際的な脅威に鈍感である感覚というのは、いったい何なのだろう。今現在日本海にミサイルが打ち込まれてもなお、無視できる神経というのがさらによくわからない反応である(まあ、過敏すぎるのも良くないけど)。ミサイルが日本の漁船などに当たらなかったのは本当に幸いだったけれど、そういう実害がなければ、理解し得ない感覚なんだろうか。これって戦争以前に、本当に人間が生きているということになるんだろうか。平和というのは本当に恐ろしいと、反面的に考えさせられるのだった。
コメント (2)
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