カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

日本の身勝手に外国人は付き合えるのか(その4)

2014-07-07 | 時事

 日本国内においても、局所的には労働賃金が上がっている場所はそれなりにあるという。実際に最低賃金では人は集められず、実質上賃上げの形で人を呼び込んでいる地域はある。主に首都圏周辺であるらしいが。そういう中にあって、やはりそのままの賃金でしか人を募集できず、結果的に人を集められないということで、店を閉店させたり、事業が成り立たなくなったりする事業所もあるという。人手不足の由々しき問題ということらしいが、しかしそれであっても、やはり賃金を上げてでも成り立つ事業所が存在するということからも、やはりいびつさは感じる。要するに他の地区に比べてその地区だけを特別に上げることが、会社や事業所として都合が悪いということに過ぎないからだ。国内格差問題は少し難しいこともはらんではいるが、基本的にその差額でも利潤は生まれうる。実質賃金格差というものもあって、首都圏と地方の賃金差は、事実上現在でも倍くらいは違うのが現状だ。人手不足の理由としては、だから基本的には成り立たない。そのようにして押し上げられた賃金こそが、実際には適正なものであるというのが普通なはずなのだ。
 このことは、日本国内のサービス業であっても、国内事情だから独自のものでいいのだということとの転換点のようにも思える。もちろん、サービス価格というのは限りなく原価近くまで下落するのは自然なことだ。結果的に同じものであれば、価格をサービスとして提供して競争せざるを得ない。だから同じものではないサービスを創造して、いわばイノベーションを起こして次の業態を作り上げられないところは、結果的に退場する運命にあるということだ。大変に難しく厳しい世界だというのは間違いあるまい。
 日本は、確かにこのようなサービス形態においては、過剰にデコレートした上に単価を下げざるを得ないような、厳しい成熟社会だとは言われている。しかしながら、日本国内の消費者が、その選択をして淘汰しているということであれば、それはその流れをいくら嘆いても解決の道は無い。人は集団なりに合理的に判断して選択してしまうからだ。要は、日本国内で生き残れないのであれば、業態を変えるか、国外に展開するなどを選択せざるを得ないわけだ。この是正のために外国人労働者で調整することは、もっといびつさを助長しかねないということなのだ。
 もちろんサービスを受ける側にもそれなりに覚悟は必要だ。労働人口が減り続けている日本においては、日本国内くまなく同じ価格で同じサービスを受けられる環境を維持できなくなっていると考えられる。労働者が減り続けている地方においては、安い労働力を国外から輸入するという考え方では、既に手遅れな状態に陥っている可能性が高い。さらにその是正に力を入れるコストが既に無いとも言われている。選択と集中は進み、都市部と一部の地方都市のみしか生き残れない(あくまで自治体ということだが)社会が目の前に来ている。というか、今であってもそれはそうなのかもしれないのである。
 要は外国人受け入れ問題なのではなく、国内の環境格差と、それを調整させる税や社会補償問題なのだということだ。本丸はあくまでそういうことで、日本社会を維持するためにすべきことは、そのような維持不可能な社会を変革させることに他ならないのである。
 もちろんだからこそ簡単ではなく、痛みを伴うこともやらなければならないということに尽きるわけだ。問題を先送りにしたうえで、解決は外国頼りという情けない発想から出発している限り、必ず失敗することは目に見えている。厳しいことから直視する。そしてそれを正直に国民に問うていくしか道はないのである。(つづく)
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