カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

騙すことに意味がある   モネ・ゲーム

2014-07-30 | 映画

モネ・ゲーム/マイケル・ホフマン監督

 「泥棒貴族」という映画のリメイクということらしい。元も良くできた犯罪映画コメディだったらしく、少し現代風にアレンジしなおして、さらにまじめ二枚目のコリン・ファースと、もともとコメディエンヌの素養のあるキャメロン・ディアスの共演ということで、一攫千金を狙ったのだろう。少しトウが立つといった感はあるが、二人とも楽しく演じていて、見ていても楽しい。特にコリン・ファースは、その堅物的な物言いがよく合っていて、いわゆるはまり役といっていいだろう。
 実際にモネの作品がこのような運命で眠っているものかは知らない。しかしそのような逸話があるからこそ、モノの値段というか、価値は確かに上がるものだろう。もちろん持っている人にとってはたまらない背景だけれど、持たざるものにとっては、単なるゴシップである。欲しいのは金のほうだけ、ということもいえて、つまり、気持ちよく金を払ってもらおうというわけである。
 しかしながら、このような詐欺というか、人を騙したり落としいれたりというようなゲームは、あるいは営業の人は多かれ少なかれしていることなのかもしれないが、なんと言うか大変に抵抗があるのは確かだ。嫌な気分が付きまとうというか、なんと言うか…。だから騙される人物は風変わりだったり、悪人だったりするように描かれる。騙す方が主人公側だから、このような生真面目さだったり、善人っぽいということが必要になってくるのであろう。ちょっと演技がかった演出にもなるし、ファンタジーということにもなる。楽しく騙し騙されを観る素養を養わなければならない。
 大人のための寓話といえばそうだし、一攫千金のどんでん返しカタルシス映画といえばそうである。なかなかにくいところではあるが、しかし、日本人には少しだけ引っかかるところはあるかもしれない。西洋人を楽しませるスパイスとして。日本人がいるらしいことはわかるので、それはそれで学習しておいてもいいのかもしれないけれど…。
 現実を忘れることに意味があるとしたら、及第点の娯楽作だろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする