カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

日本の身勝手に外国人は付き合えるのか(その5)

2014-07-09 | 時事

 日本への移民問題から話が長くなってしまったが、人口が減ることは国としては困ることだらけなのだが、ほんの一時のことを考えるなら、減る段階自体は、日本国内の個人にとっては必ずしも悪いことばかりなのではない。結果的に国が成り立たなくなるといろいろと迷惑をこうむることになるから同じことだとはいえ、しかし減る段階は利点も多いのだ。
 たとえば労働者が減るのだが、一人頭の労働者の価値が一時的には上がる傾向になる。人手不足は賃上げの圧力になるだろう。結果的にその事業が成り立たなくなるくらい上がってしまえば倒産するだけの話で、それまでは人の価値は上がり続けるだろう。要するに企業が国外に脱出するだけのことであるが、そうなると日本で生き残れる人も限られた人材になっていくかもしれない。絶対に移動できなかったり移動するつもりのない人間以外は、日本は住めない国になっていくのかもしれない。
 日本国内の賃金を一律に下げていくという方法はある。今の円安は実質的にそういう方法であるが、これにも限界がある。実際には日本には競争力のある産業はあるわけで、そういうものをダンピングするための手法に過ぎないからだ。
 正社員か派遣か問題で是正を図るべきだというのは分からないではないが、既得権益(つまり正社員)を守ることで派遣やパートの賃金を下げさせている現状を改めない以上、この流れは変えさせようがない。日本の労働規制に柔軟性を持たせることが出来れば、ひょっとするとこの国の産業は復活するかもしれない。もちろんほとんど無理だから、復活は難しいかもしれないが。
 結局はコストの高い社会は維持が難しくなるだけのことなのだ。消費税が何パーセント上がったから国民が困窮して生活が成り立たないという話が出るが、それ以前に今現在の生活であっても、国家としてのサービスはすべて、多くの借金によって前借して既に使い果たしてしまっているのだ。そしてその借金は、誰かが返さなければならない。もちろん現在の人も返してはいるが、まだ十分には程遠い。だから将来の人、今の若い人以降の人が返すことになるわけだが、日本では、その若い人たちが減り続けていて、それを見越しているだけでは、限界があることが見えてきたのである。ではどうするかと、検討した結果、移民を受け入れていこうということになった。
 そういうからくりを知らないまま日本に来た外国人は幸福でしょうか? そうしてそういうからくりのもと日本に呼ぼうとする日本人は、誇らしいですか? 移民問題に問われている倫理とは、そういうことに尽きるのではないか。
 今の日本人が図らずもこんなに情けないものだというのなら、僕も諦めよう。しかし、そうではないと少しでも信じたいから、自発的に外国人に来てもらえるような国にしていきたいと思うのだ。かなり難しいことは間違いないが、移民受け入れにはだから僕は反対したいと思うのであった。
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