カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

美食とエキゾチズムと誤解の妙   刑事コロンボ・美食の報酬

2014-07-15 | コロンボ

刑事コロンボ・美食の報酬/ジョナサン・デミ監督

 最初からトリックに貧困な印象を受ける。コロンボで無くともいいのではないか。そういう疑問もある。だからむしろ何ですぐに解決できないのか、という疑問がわいてくるのだが、しかし、お話としてはそのために妙な味わいのある作品になっている。それというのも、トリックの解決の視点より、美食を楽しむ人々や、コロンボとイタリアの関係、そして、図らずも美食と日本食への興味についても考えさせられることになるのだ。本国アメリカ文化というものは、食べ物に関しては、やはり一定のコンプレックスのようなものがあるのではないか。その合理性からジャンクフードを生み出すことには長けているけれど、美食としては、イタリアや日本への興味があるということなのではないか。イタリアはともかく、日本については相当な誤解が含まれているのだけど、そういう変な誤解も含めて、エキゾチックで不思議な美食文化を楽しんでいる姿が見られる。結局、美食だけれど河豚の毒のように恐ろしげな文化と美食に対する不信のようなものも含めて、批評的な作品ということも言えるのかもしれない。結局コロンボの箸使いのように、あまりに遠くて不器用なものに対する怖れがそのまま作品のテーマのようなことになっている。
 それにしても犯人はちょっと安易に過ぎるという感じはする。いわゆるお調子者である。食に対する才能があるということになっているようだけれど、言っていることがなんとなく怪しいし、殺人の動機も子供じみている。そうして苦しくなってしまって、挙句の果てにコロンボの殺害を企てるという有様である。そのことが解決のアクセントになっているとはいえ、こういう人が社会的に成功の道を修めていたということが、さらに怪しく思えたりもする。そういうものだということかもしれないが、殺されたイタリア料理人以外にも、きっと反発を買っていたのではあるまいか。まあ、いらぬ心配ではあるわけだが…。
 イタリア系のコロンボがイタリア語の通訳をしたり、曲がりなりにも料理を作ったり、エピソードとしてはそれなりに楽しい内容である。実際のピーター・フォークの奥さんも出ている。劇中に着ていた日本の法被のセンスは悪いけれど、それは製作陣の責任だろう。ミステリとしてはたいしたことのないお話だけれど、妙に印象に残る不思議な回だったのではなかろうか。
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