カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

美術館こそ人生なのだろうか   刑事コロンボ・黄金のバックル

2014-08-01 | コロンボ

刑事コロンボ・黄金のバックル/ロバート・ダグラス監督

 個人の資産というか、コレクションを展示する美術館を経営している家族の内輪もめをめぐる殺人である。後になぜそれほどまで美術館に執着しなくてはならなかったのかはなんとなく明らかになるが、僕としては美術館を手放すということより、その資産を作った基の事業はどうなったのか気になったりした。親戚の誰かが美術館を担当するというのは分かるのだが、赤字を補填する事業があってもよさそうだ。もちろんそれが衰退するなりして美術館しか残らなかったという設定もありだけど、その前に美術品が処分されそうなものである。
 それはさておき、登場人物たちにはそれぞれに偏見が強い感じもする。女の美しさとしあわせの関係だとか、気の強さとか可愛げのあるなしなど。あたかも男は利用する存在であるかのようだし、その男の存在しだいで女のしあわせがあるかのような会話が続く。時代とはいえ、今のアメリカ社会はこの反動があるのに違いないとさえ感じられるのだった。さらに見た目でいうならば、確かにすぐに気絶するような女性にキュートさを感じる男性もいるのかもしれないけれど、普通は面倒なだけでなく、滑稽にすら思うのではないか。むしろ冷静で動じない犯人の動作や言葉からは、女性的な魅力も感じられるから不思議である。薄幸の婦人という設定だけれど、しっかりものでそれなりに美しい女性であることは間違いなく、私生活ではこの女優さんの方がモテるのではなかろうか、という疑問さえ浮んだ。まあ、だから犯人役に選ばれたということなんだろうけれど…。
 ドラマなどでは拳銃の相打ちでお互いが死ぬということはそれなりにある。しかしながらそんなに都合の良いことはそうそうなさそうな気もする。二人とも一発で仕留めるのだけれど、なかなか死なない人間を複数回撃つのが普通にも思える。もちろんそれではお話が成り立たないわけだが…。
 まあ、言いたい事としては、それなりに穴のある設定や展開が多かったという印象かもしれない。いろいろ計画はあるにせよ、トリックとしては、初期の捜査段階でいろいろと矛盾する証拠が出てきて当然という感じがする。硝煙反応や指紋のつき方にも疑問が残る。電話のトリックの時間差にも無理があるし、周りの人間もいち早く犯人に疑いを抱く方が自然ではなかろうか。もちろん、背景になっている人間関係はそれなりに面白く、過去にあったかもしれない殺人についても、含みはあるがミステリアスな余韻がある。電気を消したのは誰だというコロンボの最初の気付きも、すぐに犯人とつながる線として強力で無理がない。さらに深く愛しているように見える姪っ子を陥れようとする女の恐ろしさも、それに無頓着だった(つまり信用していた)姪の心理の逆転劇も考えさせられるものだ。惜しいがいい感じという複雑な心境の残った、人間ドラマだった。
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