カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

夢のなかの信用の出来ない自分

2014-08-13 | 雑記

 夢を見ていて、「ああ、これは夢だな」と思うことがある。そう思うとたいてい目覚めるので(もっとも目覚めたから夢だったと記憶できたということもあるのだが)、覚醒した同時期に夢を夢と判断したのかもしれないとは思う。しかしあくまで夢の流れとして、これは夢の中にいるのだろうということを思う。考えてみると夢でなければおかしいというような論理的な判断なのではない。自分が夢の中にいるな、という居心地の悪さに気付いてしまうというのがあるようなのだ。たまにそういうことをわかりながら、夢の中でそのまま自分を演じているということもあるにはある。まだ目覚めなくてもいいから、もう少し付き合うか、ということかもしれない。しかし、じきに夢は目覚めとともに終焉する。内容がなんだったのはよく覚えていないのに、夢と気付いた自分の居心地の悪さのようなものはなんとなく後を引くように覚えている。変なものだな、という感覚だけが後に残るような…。
 逆にまた、変な立場に居るくせに、何でまた夢だと気付かないのか、と時々不思議に思う。明らかに違った立場だったり(この間は、僕は魚になっていた)、時間がばらばらだったり、妙にSFチック(空を飛んでいたり)していても、夢の中だと気付いていない。目覚めて、そりゃ夢だもんな、とあきれ果てる。でも、夢のなかの自分はそんなことはまったく気付く気配すらない。夢世界を安易に信じて、そうしてそのなかで、踊らされ苦しめられる(時には楽しいが…)。夢の中の自分が、なぜああまで幼稚なのか。まあ、現実の自分も十分に幼稚だという声も聞こえそうだが、それでもそういう自分が本当に信じられない。自分自身である居心地の悪さを、夢というのは思い出させてくれるという感じなのかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする