先日数年ぶりに行ったスナックで、つれの人がずっと洋楽の曲を歌っていた(この人は還暦ちょっとすぎ)。客層が古くて、後から来た年配の客もやはりつられてボブ・ディランの有名でない歌を歌った。お前らも歌えといわれるが、歌える歌なんて無いという気分だった。チイママさんがビートルズくらいは、といわれるが、それもどうなのか。歌えるのもあるが、やはり止めて、エーとなんだっけ、キャンテイクマイアイオブユーとかいうやつ、と調子に乗ったら、ダンスミュージックが流れてきて、沈没した。なんか古いおじさんがゆっくり歌うから何とかなるかもな、と思ったのに…。
チイママといっても僕よりひとつふたつ下くらいだろうか。最近の若い客で洋楽を歌う人なんてめったにないし、歌うとしても集団でマイクを譲り合ってビートルズのレットイットビーなんてパターンが多いのよね、という。ビートルズのレットイットビー、というのにすぐに混乱を覚えるが、それはつれの人が何やらつぶやいていたので任せて、やはりそういうことかもしれないとは思う。今でもロックは聴くけど歌うためでないし、歌えるような古いものは僕らのタイムリーではない。ましてや僕らより若いなら…。止めとこう。
カラオケが最盛のときも、やはり中心は歌謡曲で、王選手がマイウェイを歌うらしいとは聞いたことはあるが、概ねあんまりそういう人は少数だった。自分も歌うが他の人もそれなりに聴くので、その人なりの選曲にならざるを得なかったということになるのだろう。
いぜんは僕よりオジサンたちから、大人になると自然と演歌になるもんだといわれたものだが、あれは完全に嘘だったな。彼らは若い頃から演歌に親しんでいたに違いないのだ。僕も絶対演歌を歌わないという原理主義者じゃないが、冗談以外で口ずさむことなんてない。普段聞いているのはロックだけれど、だからカラオケはそうなるということでもない。ロック魂が少し出るような曲と酒の席を考えて歌うということであって、自分の趣味がそのまま表に出るような場所でもないという感じだろうか。そもそもツェッペリンはインストめいているわけで、歌ってどうなるというものでもないだろう。
まあ、会話してもそんなに楽しくない気分の夜もあるわけで、そんなに聞きたくなくてもカラオケなら仕方がないと杯を重ねられることもある。上手く歌えなくてもカタカナ英語で歌詞を読むだけでもいいのかもしれない。お経だって意味は分からないわけで、ありがたいのか苦行なのか分からないから面白いこともあるかもしれない。とにかく時間はつぶれるので、客の居ない店ではそういう遊びもありということなんであろう。