カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

クレイジー卵かけご飯

2015-01-16 | 

 ずいぶん前の話だが、国民宿舎のような宿に泊まって朝食をとりに行ったときのことだ。朝食会場は、テーブルに名札がつけられていて集団で食べるような設定だった。僕らも席について普通にご飯をよそうってもらって、そうして普通に生卵をご飯に落として醤油をかけて食べた。僕らの前のテーブルに後からぞろぞろと中国からの団体客が座ろうとしていたわけだが、僕らのこの食事風景に驚愕のまなざしを向け、中国語でいわゆる「キチガイ」という意味の言葉を漏らしていた。言われた僕はちょっとギョッとしたが、そういえば彼らは生卵はこんな風にしては絶対食わないんだったな、と思ったことだった。僕らの精神がどうかしているように見えても仕方がないのかもしれない。
 彼らが生卵を食べる習慣が無い理由はよくは知らない。一般的にサルモネラ菌が怖いというのがあるが、生を食べてすぐに菌にあたるという短絡思考だけで嫌がっているという感じではない。生の卵を料理に使う場面を見ても、そんなに嫌悪を覚えないだろうし、諸外国には調理という点では、生卵が使われるケースはそれなりにあるだろう。後に火を通すということがあったにせよ、そういう場合には視覚に訴えるインパクトはそこまでないのではあるまいか。
 それではなんで嫌なのかというのは、白いご飯が黄色というか卵色に染まって、そうしてそれを食べる様子が気持ち悪さを感じさせる、ということのように思える。
 日本の卵の衛生状態が段違いに良いというのは背景にあるが、日本ではそれなりに生卵への抵抗が少ないというのはあるという気もする。生で食べる旨さというのをそれなりに前から知っているという背景もあるだろうし、たとえばすき焼きのような場合に、卵が調味料になっているだけで、非常に豪華という印象さえ持つのではないか。普通に卵かけご飯は旨いということの前に、やはり一人一個の卵を独占して食べられるという、豪華な感じに酔っているというのは、僕の世代でも少しだけは理解できる。現代においては卵は大変に安価になったけれど、物価上昇につられて値を上げなかった生産者の努力のたまものであって、しかしそれでありながら安全性まで担保出来たという奇跡的なことが、僕らの感覚を助けているということが言えるだろう。
 よく言われるように、シルベスタ・スタローンがロッキー役で生卵をごくごく飲むシーンがあるのだが、まあ、日本人にはあれは有りだったという話もあるが、僕が子供だった頃にはあれは当然インパクトのある表現だった。生で卵を飲む人がいないわけでは無かったろうが、いくつもごくごくやるというのは少なかったのではないか。僕の弟は早速真似して、我が家の卵の消費は飛躍的に増えた。ともあれ、ロッキーであっても、あれは異常行動としての演出だった可能性が高いと思う。
 生卵をご飯にかけて食べることが、ちょっと贅沢で仕合せである象徴にあるのは、日本の朝食風景として、大変に素晴らしいことである。最初はクレイジーに見えたものがそう簡単に個人史として覆されるものでは無いとしても、おそらく長い時間をかけて日本を理解することになると、その素晴らしい体験が本物であるということも分かってもらえる日が来ることだろう。分かりにくいことほど物事の本質がある。これが簡単に理解されない方が、良い文化ということがあるようにも思う。いつまでも変な日本の習慣として蔑まされるままでいてほしいものである。
コメント
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