カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

藍より出でて藍より青し   プルートゥ

2015-01-27 | 読書

プルートゥ(全8巻)/浦沢直樹著(小学館)

 原作が手塚治虫の「鉄腕アトム・地上最大のロボット」のリメイク作品ということらしい。念のために原作の方も読んでみたが、もとになっているということはなんとなくわかるが、やはり独立した作品と考えた方が良さそうだ。もちろん偉大な手塚治虫に敬意をこめて作られた作品には違いないが、浦沢の才能が見事に光る傑作に思える。手塚治虫が生きていたらどう思うのかという問題があるわけだが、素直に考えて、作品に誘発されてさらにすごい作品を作ろうとしたのではなかろうか。それはそれで空恐ろしく素晴らしいことではなかろうか。
 ロボットを描きながら、実際には人間ドラマを描いているということにはなる。精密で限りなく人間に近いロボットになると、当然人間と同じようなことを考えるようになる。能力は人間よりはるかに高いわけで、それならはるかに崇高なことを考えるのかというと、実際には人間らしいことを考えるようになるということだ。あまりにも人間らしくて、既に人間が実行できないことをやることになるにせよ、元の感情は、人間の持つ憎悪や愛といったようなことになる。そのような感情を獲得するようなロボットたちは、当然そのこと自体に戸惑いや葛藤を覚えるようである。そうして激しい戦いを通して、その感情を確かなものにしていく。多くの命が失われるが、そのような感情の大切さは読者に必ず伝わるはずだ。そういうところが、まさにこの作品の神髄といっていいだろう。
 またこの作品の主人公は、事実上アトムではない。一番その人間の感情に近づき、そうしてその謎を解き明かすことになるゲジヒトというロボット刑事が、事実上の主人公と言っていいだろう。刑事という職業柄、人間やロボットたちが犯す犯罪を解いていくわけだが、そういう謎解きと相まって、様々な感情の謎までも解き明かしていく。ロボットに本能というようなものがあるとは思えないが、あたかも人間のような感情を操るにつれ、後発的に本能的な感情が芽生えていくというさまが、何とも逆説的で面白い。本能的な感情にはつまるところ理由など無いはずなんだが、ロボットの感情は経験によって獲得されるものであるらしい。もちろん人間だってたとえば年を取ると涙もろくなるというようなことが言われる訳だが、そういうことと体験というものは無関係ではあるまい。物語が積み重なることで感情の重層的な絡まりも深まり、そうしてもっとも人間らしい生き方を選択するロボットになっていくわけだ。その先には深い悲しみが待っているにせよ、そういえば寿命が定かでないロボットにとっては、おそらくそれはかなり厄介なものになりそうである。
 このような作品に刺激を受けて、さらに素晴らしいものが将来には生まれ得るかもしれない。そのような連鎖に対する挑戦状のような作品なのかもしれない。
コメント
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