最近こんなんばっかりだが、NHKの番組でAIが人間の仕事を奪う脅威の話をやっていた。よせばいいのにこれに資産家の孫正義が出ていて、女性の教授から揚げ足を取られて失礼な批判をされていた。要するに仕事を奪われる事ばかり考えてないで、新しいチャンスが無いかこの機会に頑張ってみようという精神も必要だ、という事を孫は言った訳で、正論である。それを女性教授は、やれる人が出来ることと出来ない人がいることを忘れてはならない訳で、資産家の責任のある人が精神論でこのようなことを打開すべきだというのは無責任だ、と批判したのだ。もちろんこれに孫は同じ無責任という言葉を使って、そういう考えをつぶすような空気のようなものを再批判していたが、この番組の性質上、弱かった感が漂った。
こういう社会主義的な不安をあおって片方を非難するやり方は、誠に卑怯である。たとえAIに人間が仕事を奪われたとしても、資産家に何の責任も無いことだ。AIを開発した人にも責任などは無い。奪われた人は別の仕事をしたらいいだけのことで、お金が無くなる以前に働くべきであろう。
もっともこの設定が一番勘違いしているらしいことは、この点なのである。工場で仕事を奪われるのであれば、その分の節約された莫大な時間はどうなるのか。そこに大きなチャンスがある訳で、工場で仕事をしなくて良くなった人間が、それを埋めてしまえばいいのである。中にはその時間の使い方をレクチャーするものだって現れるだろうし、工場では作れない、手づくりものの職人だって生まれるかもしれない。そういう価値が見直されもするし、細分化されて新たなサービスがどんどん生まれていくだろう。他人任せになんかしないで、単純な事ことは資本家にやらせて、自分たちはAIを使ってプチ起業をどんどんやったらいいのである。今なら何をやるべきかをプログラムするAIも現れるだろうし、どのようなプチ起業家に投資すべきというAIもちゃんと現れるだろう。個人が自分に最適化して働くことがしやすくなる社会は、どんどん目の前に近づいているのである。
このような流れは、少なくとも全世界的に行われていくだろうから、それを踏まえての税制度を、国を越えて整備するようなことも行う必要があるだろう。生産性があがった世の中は、その分の余剰を回す余裕も同時に産むことになる。要はその制度を効率化さえて、そうして国境を越えて連携化させる必要が出てくるだろう。社会保障は一部の資産家のみの責任では無い。ある程度の累進性は認められるだろうが、懲罰的にやれば逃げるだけのことである。そういう公平感があってはじめて、社会制度は安定的な担保を得ることが出来る。もっともこれが、やっぱり一番難しい課題であるのは間違いなさそうだけれど。