なんだか毎年流行語大賞には文句を言っている気もするが、おそらくそれはどこに行っても恒例になりつつある現象ではないのか。興味は引くが、内容を見るとどんよりするというか。流行語大賞というアイディアは素晴らしく、これを企画したもの勝ちになっていると認めるが、肝心の内容の方は、かなり世間ずれしているというか、本当にそれでいいのか? という余韻を残す材料にしかなっていない。
もちろんことは大谷翔平選手が凄いのは分かるが、まあ、彼は凄いのに可愛いだけでなくかなり変な人で、これまでの地球人と比較しても見当たる人がいない。当然いわゆる一般的な日本人ともかけ離れていて、国民栄誉賞を辞退するほど、これからの人生の方が凄そうな人だ。そういう目標設定の立て方と、自信であるとか、素直さと謙虚さが、日本だけでないスケールの大きさをあらわしている(でも日本人は喜んでいるわけだが)。リアル二刀流とかショータイムが流行ったというより、オオタニさーんの方がずっといい感じがするのだが、どうなんだろう。エンゼルスの勝敗なんてどうでもよくて、オオタニ選手打った? と何度挨拶代わりの言葉が交わされたことだろう。
でもって今年に限らないことだったからかもしれないが、もう一人の可愛い青年が他でもなく藤井聡太クンではないかと思うが、これって何冠とか増えてしまったので、特定の定着語が無かったのかもしれない。今年もすごかったとしか言いようが無い。
さて今年はオリンピックがあって、やっぱり盛り上がったと思うのだが(ネガティブな妨害も多かったが)、これも本当にスケボー選手などの方が、特に注目が高かったのだろうか? 確かに変な言葉で解説を聞くのは新鮮だったが、実のところそういう解説が無いと本当にすごいことをしているのかよく分からないところがあって、なんとなく新しい競技というのは「地味」なんだな、と思った。そりゃ難しくスゴイのだろうけど、体操選手がぐるぐる回ったりする方が何倍も迫力がある。そうして僕にはわかりやすい。柔道など兄弟愛の言葉もあったりして、そういう方が注目度が高かったようにも思うのだが、違ったのだろうか? かなり不思議な感じである。
そうして相撲だけど、照ノ富士が何度も優勝して一番すごかった年なのに、横綱として初の優勝を決めた日に休場していた白鵬が引退を表明して、どよめいた。この感覚はやっぱり日本には無いなー、と思ったのだが、僕は日本人にいじめぬかれた白鵬をねぎらいたい気持ちもあるので、意趣返しだったのかもしれないな、とも感じた。まあ、考えすぎだろうけど。しかしながら相撲でいうと大栄翔が優勝した際に友人の娘さんの元クラスメートの高西君だということを知り、すっかり僕は「高西君」が相撲の流行語であった。個人的ですいません。
そうしてやっぱり今年は政治の年でもあって、衆議院選もそうだけど、その前の総裁選自体も思わず盛り上がった。人の話を聞くとかどうとかもあったけど、政治ネタの言葉も多かった。これが完全にスルーというのもかなり違和感がある。年末には立憲民主党の代表選もあった。こっちも最近だったからか印象も強い。小川淳也の知名度がぐわーと上がって、やっぱりジャーナリズムが細かく報じると、強いんだなと思った。政治はちゃんと追うと面白いのである。
僕はワイドショーは見ないのだが、どうも皇室関係の話題が根強く続いていたような気配は感じていた。昼飯の時などに職場の人間が話題にしているのも何度も聞いていた。月がどうだの、いったい何のことだったのだろう? しかしながらそういうのに嫌気がさして、日本に住めなくなった二人が本当に米国に渡るらしいと聞いて、やっと問題の深さに気づかされた。若い二人というのは、結局弱くも強いと思う。それにしても粘着質な日本人は、そう簡単に忘れないのではないか。それにその後成長する他の皇室の人々は、本当に日本人と付き合えるのだろうか。
ということで、流行語のことだったのに言葉として何もふさわしいものを言ってないじゃないか、という感じだが。今の世の中、みんな違ってみんないいので、共通の流行語がある方が不自然だ。でもまあ、最近の感じで〆るとしたら、プロ野球だったかもしれない。ともに前年最下位だったチームが勝ち上がり、試合内容も素晴らしかったようだ。意味はちょっと日本語としてどうなのかとは思うが、「下克上シリーズ」というのはよく聞いたな、という印象である。でもまあ試合としては全然観てない。山本投手は好きですけど。
本当は今年の初めに創価大学が駅伝で壮絶な大失速で印象を残したのに、秋になって東京国際大、駒沢と顔ぶれが変わった。もう来年の正月が楽しみなわけで、本当に時代が変わったなあと思う訳です。その前に高校駅伝があるんだった。振り返るよりこれからが忙しいのであります。