浄土宗西山禅林寺派の本山です。禅林寺が本来の名前ですが、一般には、永観堂の名前で
通っています。もとは、弘法大師空海の高弟、真紹(しんじょう)僧都が、任明天皇の厚遇に報
いるために河内の観心寺に5体の仏を安置したものの、辺地であるため、855年、京都東山
にあった藤原関雄の山荘を買い、鎮護国家の道場としたのが始まりです。
2世の宗叡の代になって、清和天皇から禅林寺の名を賜りました。禅林寺が発展するのは、中
興の祖とされる永観律師の時代です。
PENTAX K-5 ”雅”+smc PENTAX-DA 18-135mmF3.5-5.6 ED AL[IF] DC WRで撮った。
京都の南禅寺の近くには、京都と琵琶湖を結ぶために明治時代につくられた水路があって、
「琵琶湖疎水(そすい)」とか「疎水」と呼ばれています。また、疎水の近くには、「インクライン
(傾斜鉄道)」という鉄道があります。インクラインは今はもう使われていませんが、人を運ぶた
めの鉄道ではなくて船を運ぶための鉄道です。明治時代には、この鉄道ができたおかげで大
阪と京都を結ぶ水運と琵琶湖の水運を結ぶことができ、物資の輸送を船でおこなうことができ
るようになって、京都の経済的発展に大きく貢献したそうです。さて、このインクラインのところ
に「ねじりまんぽ」があるという情報をいただいたので、探してみました。なるほど、よく見ると、
上を通るインクラインに対して斜めに角度を成してトンネルが掘られているものの、アーチの
天井部分の煉瓦は、インクラインと直交に近くなるような向きで並べられています。天井部分
の煉瓦の並べ方に合わせて他の煉瓦も並べられているので、結果的に、側面の煉瓦は斜め
になっています。それで、トンネルの内部の煉瓦が全体として螺旋状になっているわけです。
これが、「ねじりまんぽ」の正体でした。 ※「まんぽ」と言う言葉は、線路の下をくぐるトンネル状の通路のことで、すなわち短いアーチ橋のことを示す古い 方言で、関西地方を中心に北陸、東海、長野地方で使われている。
PENTAX K-5 ”雅”+smc PENTAX-DA 18-135mmF3.5-5.6 ED AL[IF] DC WRで撮った。
ここいらからも見えます八坂の塔、高台寺周辺は落ち着いたたたずまいの店舗(みせ)があり、散策には
もってこいです。
PENTAX K-5 ”雅”+smc PENTAX-DA 18-135mmF3.5-5.6 ED AL[IF] DC WRで撮った。
南禅寺界隈ならではの高低差を活かし、南から北側の池に水が流れていくという独特な作りです。
建物のすぐ脇を水が流れ、その音には涼を感じさせられます。手入れも行き届いたすばらしい庭で、
それだけでも心が癒されます。
PENTAX K-5 ”雅”+smc PENTAX-DA 18-135mmF3.5-5.6 ED AL[IF] DC WRで撮った。
PENTAX K-5 ”雅”+smc PENTAX-DA 18-135mmF3.5-5.6 ED AL[IF] DC WRで撮った。
南禅院の庭園は法皇遺愛の林泉で、史跡及び名勝に指定されています。築庭に当たって竜田の楓を移植し、
井手の蛙を放ったと伝えられています。池中に心字島を浮かべたもので、夢窓国師によって完成された池泉
廻遊式庭園となっています。
PENTAX K-5 ”雅”+smc PENTAX-DA 18-135mmF3.5-5.6 ED AL[IF] DC WRで撮った。
水路閣は琵琶湖疎水という、琵琶湖と京都の間に立ちはだかる山々を抜き、流れる長大な運河に
しつらえられた水道橋です。明治14年当時、京都の水脈はもっぱら地下水か、北方の山々に流れ
を発する川しかなかった。しかし山をいくつか越えれば、日本最大の湖・琵琶湖がある。水路閣が
南禅寺の境内を通るにあたって、純和風で古式ゆかしい南禅寺の境内に、近代的な建造物では
違和感があろということで、反対運動ものもあったようだ。しかし、今と違って政府の力が絶対的な
明治の世の中なのであり、ウムを言わせず断行したとも考えられます。いまでは水路閣は、南禅
寺の境内にすっかり溶け込んでいて、なくてはならない存在なのは間違ありません。
PENTAX K-5 ”雅”+smc PENTAX-DA 18-135mmF3.5-5.6 ED AL[IF] DC WRで撮った。
南禅寺(なんぜんじ)は京都観光では人気が高く、とくに桜・紅葉の名所としても有名です。
桜・紅葉のシーズン中はさらにたくさんの観光客が訪れます。広大な寺域内には三門、方
丈庭園、南禅院などがあります。
※ 亀山法皇が造営した離宮の禅林寺殿を、正応4年(1291年)に寺に改め禅林禅寺
と名づけた。開山(初代住職)は無関普門禅師(大明国師)、開基(創立者)は亀山法
皇。室町時代には「五山の上」として、日本の禅宗のなかで最も高い位につき、五山
文学の中心地として栄えた。創建当時の伽藍は応仁の乱で焼失した。 広大な敷地
に立つ現在の伽藍は、桃山時代の再建がほとんどである。
5間3戸の荘厳な構えの三門は高さ22m。別名「天下龍門」と呼ばれ、日本三大門の
一つに数えられる。現在の門は寛永5年(1628年)、大坂夏の陣に倒れた戦没者を弔
うため、藤堂高虎が再建したもの。廻り縁からは京都の北西部が見渡せ、すばらしい
眺めである。観光で訪れたときは忘れずに一万両の絶景をぜひ見ておこう。なお、石
川五右衛門が歌舞伎で「絶景かな」と称した眺めだが、実際には石川五右衛門がい
た時代には三門はまだ再建されていなかった。
PENTAX K-5 ”雅”+smc PENTAX-DA 18-135mmF3.5-5.6 ED AL[IF] DC WRで撮った。
東寺(とうじ)は正しくは教王護国寺(きょうおうごこくじ)といいます。平安建都の際、都の南玄関、
羅城門(らじょうもん)の東に作られたのです。後に空海が賜り、密教の根本道場(こんぽんどうじ
ょう)とし、現在にいたっております。
五重塔(国宝)は、京都駅前のビルが林立する中でも、木造建築の美を際立たせ、厳然とたって
います。 高さ57メートルの日本最高の塔は、寛永20年(1643年)に、徳川家光が再建奉納した
ものです。講堂(重要文化財)にある、現存する最古の密教彫刻の一群や金堂(国宝)、大師堂(国
宝)、蓮花門(国宝)など見所も多く、境内は史跡に指定されております。
PENTAX K-5 ”雅”+smc PENTAX-DA 18-135mmF3.5-5.6 ED AL[IF] DC WRで撮った。
承和年間(834~48年)の平安初期に道昌僧正が現在の渡月橋より二百㍍程上流の辺に橋を架けた
ようです。当時この橋を葛野橋とか法輪寺橋とも云われて、橋は朱丹に塗られ東北河畔より嵐山一角の
風光を眺望する、すぐれた景勝を展開していたようです。
それから四百数十年后、亀山上皇が月が渡るのをみて渡月橋と名付けられた。この時の亀山御殿は嵐
山大堰川もその庭と眺め、橋もお庭先と考えられていたのでしょう。
夢窓国師が天竜寺造営後、更に大きな橋に架け替えたが応仁の乱で焼失しました。その後景徐という僧
が勧進帳を作って橋を架けたが洪水で流失してしまった。それ以後、橋を架け替えたかどうか記録がなく、
慶長年間(1596~1615年)嵯峨の富豪である角倉了以が保津川を開いた時に現在の処に架け替えら
れたのでした。
PENTAX K-5 ”雅”+smc PENTAX-DA 18-135mmF3.5-5.6 ED AL[IF] DC WRで撮った。
通称「嵐電(らんでん)」という名で親しまれている京福電鉄は、かつては京都府と福井県に路線を
持った鉄道会社でした。現在は福井側の路線をえちぜん鉄道に譲り、京都市内を走る鉄道となり
ました。嵐電の路線は、大きなYのような形をしています。京都市の中心に近い四条大宮駅を基点
に、分岐駅の帷子ノ辻(かたびらのつじ)を経由して、嵐山駅に至る嵐山本線。もう一つは、帷子ノ
辻から北山に向かって分岐し、北野天満宮近くの北野白梅町駅に至る北野線です。
PENTAX K-5 ”雅”+smc PENTAX-DA 18-135mmF3.5-5.6 ED AL[IF] DC WRで撮った。
金閣寺を代表する建物です。漆塗りに金箔を張ったこの建物は舎利殿で、足利義満が造営した北山山荘で
唯一解体を逃れた建造物です。残念ながら1950年の失火で全焼しましたが、1955年にほぼ焼失前の状
態に再建されました。上層の天井板は「楠天井の一枚板」であったと言われていますが焼失したため確認は
されていません。3層構造の豪華な造りの金閣(舎利殿)は2層目、3層目には漆に金箔が押されています。
金閣は各層に別々の建築様式を採用した異色の造りになっています。屋根はこけら葺きで頂上には鳳凰が
輝いています。
また青空の晴れた日の鏡湖池(きょうこち)に映る金閣は、湖面によく映えて美しいものです。鏡湖池には葦原
島や入亀島など島々が並んでいます。面積は約6600㎡。この池を中心に池泉回遊式と船遊式庭園が広が
っています。
PENTAX K-5 ”雅”+smc PENTAX-DA 18-135mmF3.5-5.6 ED AL[IF] DC WRで撮った。