AWA@TELL まいにち

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教育改革

2007年06月21日 | どーでもいいこと
教育改革に関する3法案が通過したというニュースを聞きました。

さて。

財政が厳しい折に言う事じゃないとは思いますが、教育にかける予算は増えていくんですかね。大学は、外部資金の獲得をという方針で、競争的資金の獲得競争が始まっていますが、そうした方針の中で、文学や教育学といった分野は資金が獲得しにくくなっていますよね。

小学校や中学校、高校はどうなんでしょうね。

教育改革を現場の自助努力で、というのは虫が良すぎると思うんですよ。
学校の選択制度の導入や、その成果にあわせての予算配分をするのは、潤沢な資金をつぎ込んだ後でスタートするべきでしょう。

じゃないと、自腹を切る教員が多い学校はよくなる、なんて事がおきかねません。

優秀な人材が公務員を希望していないと言う事も出ていましたが、教員に優秀な人材が流れない限り、教育の改革は進まないと思いますよ。免許の更新性や不適格教員の研修などをして教員に向いていない人材を外そうとしていますが、いい人材を集めないと。あと、変な言い方ですが、教員や学校に権威を取り戻さないと。

僕や妻は、子ども達に学校の先生のいう事はいつも正しいから言う事をキチンと聞きなさい、とよく話して聞かせます。先生のおっしゃることが万一おかしいと思うときも、子どもには絶対にその話は聞かせないでおこうと思っています。親が先生に直接お手紙などでお話しするべきだと思うのですよ。担任の先生からもそうお話がありました。
学校へのクレームが増えるのは、ひとつは、学校に対する信頼が薄らいでいるからだと思います。それは翻って、学校教員のプロとしての専門性への信頼の揺らぎだと思うのです。専門職は、どんな分野でも尊重するべきです。

戦前、国民学校制度がスタートした1941年、当時の校長先生が上部組織に出した文書にも、新しい教育制度に対応するためには、思い切った改革が必要であると書いてあります。例えば、師範教育の無償化、師範学校卒業者の就職の保証、学校への予算倍増などです。改革は、最終的には効率化が達成できるものでしょうが、その過程では倍増する程度の経費負担は覚悟しておかないと。

自助努力というのは、限界があります。

看板の掛け替えだけで、物が変わるなんて考えていませんよね。

中国の昔の王朝が、それも短命で終わる王朝なんかが、役所や官職の名称をいじり倒したことを思い出します。新とか順とかね。
そういえば、4月から僕の職名も『助教授』から『准教授』に変わったんだっけ
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4 コメント

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日本語学校100校設置も。 (みどごんぱぱ)
2007-06-22 08:10:58
一昨日の提言で外務大臣に「海外に政府主導で日本語学校を2,3年に100校作る」とかって提言が出ていますが、どの程度予算がつけられるのか心配です。
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うわっ (管理人)
2007-06-22 08:42:21
>みどごんぱぱさま
 コメント、ありがとうございます。100校ですか。
 予算、どの程度付くんでしょうね、心配です。それに、それがどの程度継続するんでしょうか。よくあるのは、設置時には予算が付いても、数年後は自助努力という形で予算上手を引かれるということですよね。
作る以上、最後まで、配慮が欲しいところです。
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自助努力、かぁ (terra)
2007-07-23 22:30:53
現場の中学校教師としては、「カンベンしてくれよぉ、現場の声をもっと聞いてくれ~」というのが正直なところでしょうか。
(...や、今はお休みさせてもらってるけど。)
うちの県では公立の学校選択制は導入されていないけど、はたして公立の小中学校で選択制を取り入れる必要があるのか、とも思ったり。
東京の方では、それが悪い方に転がることも出てきてるようだし。ほら、学力テストの結果をよくしようと間違っているところを教えた先生がいるとかって。もちろんそんなことする先生も先生だが、「なんで」そんなことをしたか、っていう方が問題なんじゃないのかなぁ。根本的な問題は公立学校間に競争させて格差をつけるようになった結果だと思うんだけど。
ちょっと話がずれたかな。ごめんなさい。
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そうだよねえ (管理人)
2007-07-24 06:26:31
確かに、公立の小中学校なんて、定期的に人事異動があるわけですから、選択性の導入にどれだけ意味があるのか、というのは疑問です。学校の設備なんかは気になるかもねえ。
学力テストの成績で予算をというのは過去も今回も問題を起こしてますね。その問題を起こした背景が、「学力テストなんて意味がないから、ぶち壊してやる」という主張の現われならまだしも、そうじゃないところが情けないですな。

子ども達の個性を尊重するのであれば、学力だけでなく、体力や、音楽の能力、絵画の能力など全てを見る必要があると思うんですよ。どれか一つだけ比べようとするからおかしなことになる。

どんな面でも子どもの能力を高く評価できるシステムがない限り、所謂受験に必要なもの、点数にしやすいものだけが評価対象になってしまいます。

今ふと思ったんですが、実際社会に出てお金になるのは、スポーツ、音楽、美術なんかですよね、成功するまでは大変だけど。
真似できない才能って言うのは、マス教育では評価しにくいんでしょうね。
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