令和5年、12月31日正午過ぎ。
私は徳島市内のホテルの15階で、フルコースを頂いていた。
喪服の団体が、賑やかにビールにワインに、時々ジンジャエール。
テーブルの端の中央には、叔母さんの遺影にお骨。
遺影の額縁はワインレッド。遺影写真は紫色のスーツ。
88年の人生の締めくくりを、大晦日にキッチリ合わせるなんて、男前だねー。
叔母さん、粋な計らいをありがとう。
叔母さんは、母の妹だ。
70年以上昔、池田高校を卒業し、良縁に恵まれ、某自動車教習所の女社長に就任した。
男気のある気風で、その手腕を活かし、マンション経営にも着手し、成功を収めた。
親戚の中で、唯一の成功者だった。
顔を合わすのは、親戚のお葬式の時と、数年に一度位のお墓参りの時。
電話で話すことはあっても、頻繁に会うことはなかった。
丁度コロナが流行した年に、叔母さんは体調を崩し、入退院を繰り返した。
お見舞いに行けたのは、去年の9月。
病室で、点滴に繋がれた姿に、叔母さんの面影はなかった。
生前から三人の娘達に、無駄な延命は必要無いと、言い残していた。
必要無いと断言しながら、
『生きていたい気もする』
と呟いた。
その呟きが、3ヶ月間の胃ろうになり、何も話せないまま、逝った。
三人の娘達は、叔母さんから昔話を聞くことは無かったらしい。
聞かされて無かった娘達にしたら、身内が知っている昔の話が、どれもこれもが新鮮でもあり、びっくり仰天。
意地悪な身内はいないから、笑い飛ばせる叔母さんの武勇伝。
歴史が創られるみたいに、故人の話も、生き残った者が、着色したり、すり替えたり、
そんなこともアリかもなどと、想像してしまう。
同じ場面を共有しても、受け取り方は千差万別だ。
個人の価値観を押し付けないで、正確に伝えることが、大切だ。
従姉妹達は、今日の私を、いつか想い出話のワンシーンにするんだろうか?
『菜菜美ねーちゃん、あんまり話さんと、黙々と食べよったなあ』
『お腹すいとったんじゃあないん?』
『コース料理、珍しかったんじゃあないん?』
私は少食だ。少食の私が、供養のコース料理を残さないで頂くことは、結構な試練だった。
そして、再びコ○ナの感染が増えてきた昨今、早く完食して、マスクをつけたかった。
会食で感染してしまい、利用者にうつしてはならない!
いつも娘達に笑われるが、ヘンテコな正義感がもたらした結果が、黙食となった。
マスク依存症、消毒依存症、見事に3年間で、完成してしまった、ニセ潔癖症。事実は一つ。
本人のみ知る。私は私しか、知らない。
20歳の頃。叔母さんの家に泊まっていた日。叔母さんの部屋の戸を、声をかけないで、開けた時があった。
仕事から帰った叔母さんは、薄暗い部屋で鏡台の前に座り、じっと前を見ていた。
じっと睨むような姿勢で、自分の顔を見ていた。
それは、今なら理解出来る。叔母さんは、あの時間だけが、全ての重圧から開放された唯一の時間だったんだ。
そして、自分をリセットしていたんだ。
男前で、乙女チックな88年の生涯。
究極に全てから解放された叔母さん。3人娘の今後の奮闘を、静かにお守りください。
遠い昔。田んぼで、ヤンチャ坊主をひっくり返した、あなたはエライッ!大好き!
合掌
私は徳島市内のホテルの15階で、フルコースを頂いていた。
喪服の団体が、賑やかにビールにワインに、時々ジンジャエール。
テーブルの端の中央には、叔母さんの遺影にお骨。
遺影の額縁はワインレッド。遺影写真は紫色のスーツ。
88年の人生の締めくくりを、大晦日にキッチリ合わせるなんて、男前だねー。
叔母さん、粋な計らいをありがとう。
叔母さんは、母の妹だ。
70年以上昔、池田高校を卒業し、良縁に恵まれ、某自動車教習所の女社長に就任した。
男気のある気風で、その手腕を活かし、マンション経営にも着手し、成功を収めた。
親戚の中で、唯一の成功者だった。
顔を合わすのは、親戚のお葬式の時と、数年に一度位のお墓参りの時。
電話で話すことはあっても、頻繁に会うことはなかった。
丁度コロナが流行した年に、叔母さんは体調を崩し、入退院を繰り返した。
お見舞いに行けたのは、去年の9月。
病室で、点滴に繋がれた姿に、叔母さんの面影はなかった。
生前から三人の娘達に、無駄な延命は必要無いと、言い残していた。
必要無いと断言しながら、
『生きていたい気もする』
と呟いた。
その呟きが、3ヶ月間の胃ろうになり、何も話せないまま、逝った。
三人の娘達は、叔母さんから昔話を聞くことは無かったらしい。
聞かされて無かった娘達にしたら、身内が知っている昔の話が、どれもこれもが新鮮でもあり、びっくり仰天。
意地悪な身内はいないから、笑い飛ばせる叔母さんの武勇伝。
歴史が創られるみたいに、故人の話も、生き残った者が、着色したり、すり替えたり、
そんなこともアリかもなどと、想像してしまう。
同じ場面を共有しても、受け取り方は千差万別だ。
個人の価値観を押し付けないで、正確に伝えることが、大切だ。
従姉妹達は、今日の私を、いつか想い出話のワンシーンにするんだろうか?
『菜菜美ねーちゃん、あんまり話さんと、黙々と食べよったなあ』
『お腹すいとったんじゃあないん?』
『コース料理、珍しかったんじゃあないん?』
私は少食だ。少食の私が、供養のコース料理を残さないで頂くことは、結構な試練だった。
そして、再びコ○ナの感染が増えてきた昨今、早く完食して、マスクをつけたかった。
会食で感染してしまい、利用者にうつしてはならない!
いつも娘達に笑われるが、ヘンテコな正義感がもたらした結果が、黙食となった。
マスク依存症、消毒依存症、見事に3年間で、完成してしまった、ニセ潔癖症。事実は一つ。
本人のみ知る。私は私しか、知らない。
20歳の頃。叔母さんの家に泊まっていた日。叔母さんの部屋の戸を、声をかけないで、開けた時があった。
仕事から帰った叔母さんは、薄暗い部屋で鏡台の前に座り、じっと前を見ていた。
じっと睨むような姿勢で、自分の顔を見ていた。
それは、今なら理解出来る。叔母さんは、あの時間だけが、全ての重圧から開放された唯一の時間だったんだ。
そして、自分をリセットしていたんだ。
男前で、乙女チックな88年の生涯。
究極に全てから解放された叔母さん。3人娘の今後の奮闘を、静かにお守りください。
遠い昔。田んぼで、ヤンチャ坊主をひっくり返した、あなたはエライッ!大好き!
合掌