祖谷大枝名に落ち延びた平国盛主従は阿佐名に移り屋敷を構え阿佐氏を姓とした
平家屋敷は前方が明るく開けた平坦地で南は阿佐谷に臨んで急斜面、北、東は高く
険しい山を控えた天然の要塞となっている。
祖谷の人々は昔お屋敷のご主人を「おやかた様」と呼び道で出会ったときなど
邪魔にならないように脇によけ土の上に座って挨拶したようだ。
いまの平家屋敷は文久二年(1862)に再建されたもので東祖谷の文化財に指定されている。寄棟造、茅葺きで桁八間半、梁行五間半、下手に一間半に三間半の庇がついている。
間取りは一般民家と異なり中廊下が中央梁通りにあり前後に分割され、奥が生活の場所となり前は役所目的に使用されていたようである。
正面中央に大玄関があり正客の出入り口、下屋敷、上屋敷と続き右に上段の間があり当時の格式を示している。
阿佐家八屋敷のうち、現存しているのはこの平家屋敷と西祖谷の徳膳屋敷のみのようである。(祖谷の語りべ)から抜粋
平家屋敷は前方が明るく開けた平坦地で南は阿佐谷に臨んで急斜面、北、東は高く
険しい山を控えた天然の要塞となっている。
祖谷の人々は昔お屋敷のご主人を「おやかた様」と呼び道で出会ったときなど
邪魔にならないように脇によけ土の上に座って挨拶したようだ。
いまの平家屋敷は文久二年(1862)に再建されたもので東祖谷の文化財に指定されている。寄棟造、茅葺きで桁八間半、梁行五間半、下手に一間半に三間半の庇がついている。
間取りは一般民家と異なり中廊下が中央梁通りにあり前後に分割され、奥が生活の場所となり前は役所目的に使用されていたようである。
正面中央に大玄関があり正客の出入り口、下屋敷、上屋敷と続き右に上段の間があり当時の格式を示している。
阿佐家八屋敷のうち、現存しているのはこの平家屋敷と西祖谷の徳膳屋敷のみのようである。(祖谷の語りべ)から抜粋
毎回 祖谷の集落の様子 楽しみにさせていただいています。
これからも お願いします。
>南は阿佐谷に臨んで急斜面
以前 この急斜面を阿佐谷から上がった失敗談があります。
庭先へひょっこり飛び出しほっとし「ここは?」でした。
車を置いている 古見 までランプを付けて重い足を引きずり 引き返した 苦い記憶ですが。
あの斜面は急ですね、昨年11月初旬阿佐家を訪ねた時に品の良い先代の奥様がご在宅でした、たしか88歳とお聞きしましたがお元気で居られることでしょう。
久しぶりの三嶺でしたか、それにしても山頂
での楽しい出会いと語らいは素晴らしいことですね。
お元気にご帰宅されたみたいで何よりです。
最近は山へは足が向かず、水場ばかりで遊んでます。
先日1月以来に奥轟の滝へ行きました。
中轟へ向かう道未だに土砂が崩れたままで
下から遡行諦めました。
阿佐集落は平家屋敷 だったのですか?
なんとなく歩いたり車乗ってるときに集落等をよそ見で見ますが、知らないことばかりで恥ずかしいです・・・
一度チャリで集落めぐりでもしてみようかな
多彩に活躍されていますね、いいことです。
奥轟の連続写真久しぶり、凄い水量ですね、滝つぼからの写真素晴らしいです。
雪まみれの季節が近づいてきましたね、また素晴らしい活躍、写真を期待しています。
これからもよろしく。