くまぐー日記

くまさんの電脳室リポート

VJU図書館

2018年07月05日 | Weblog

■断食三日目。Luuさんに図書館が使えるかどうかの返事はなかったが、VJUへ直接行ってみることにした。ベトナムなんだからちゃんと電話で確認してからでかけるなんてしないでいいだろう、でたとこしょうぶなんだからと思って、事務所に行った。Luuさんからちょうど許可が出たところだ、と言われ、ちゃんと見てくれているんだと意外に思った。入学願書申請料を払い、4階の図書室に入る。冷房の効いた応接室で5列ほどの本棚に各科の英語専門書、日本語のベトナム研究書、日本語教科書などがある。思ったより少なかったがさすがにベトナムだけの書籍でこんなに並んでいるのは見たことがないから興奮気味。最初、職員以外僕しかいないかった。読みたい本を10冊ほどリストアップして「ベトナム国家と民族」阿曽村編の上を読み始めた。

この本は各の論文の寄せ集めだから全部はもちろん読み切れない。まず外交からと思い元ベトナム大使の論稿を読みだすと面白くて役に立つ。服部元大使は近い年代の福井出身だと知ると親密感もわく。

阿倍仲麻呂は歌人というより日本人でありながら科挙に合格して中国の長安の高級官僚で、ハノイ(タンロン)に派遣されているから、大使と同じ境遇にあったわけで外交官としては興味あるとことだろう。

中越紛争の論稿は興味を引く。ポルポトの実態をキリングフィールドで見てきているのでシアヌークの複雑な立場、ベトナムの外交姿勢など謎が解けるようにわかった。ポルポトが死んだのは、タイのサンクチュアリ。カンボジア国王だったシアヌークが死んだのは北京。タイの巧妙な外交、鄧小平のベトナムたたきの意図、、そして国連での明石さんやパリ会議での議長今川大使のおかげでカンボジア問題にやっと日本人の名前がでてくるが本当に日本の外交は無知、無力であったことがわかる。

国連理事加入問題の時あれほどODAで日本が援助したにもかかわらずタイはマレーシアに裏切られ最後はベトナムとインドネシアしか賛成してくれなかった時の服部大使の口惜しさがベトナムに対する愛に変わったのかもしれない。

中越紛争は表面上の中ソの代理戦争にとどまらない奥の深いインドシナ地域紛争だ。インドシナ紛争、ベトナム戦争、中越紛争とベトナムは勝ち続けるが、実態はぎりぎりの綱渡り。それを一番よく知っているのがベトナム自身。小学生のテキストに中越紛争の記載はないし日本兵食糧調達「200万餓死事件」(日本の南京虐殺事件のようなとられ方をするがこちらはまったくの濡れ衣)も記載がない。領土問題も国内的には非常に微妙。すぐ竹島だ、北方領土だと国中が空騒ぎするどこかとは大違いだ。

毛沢東は「外交は血の出ない戦争」と言った。お粗末な軍隊しかないベトナムや平和憲法を持つ小国コスタリカと比べてなんと日本外交のお粗末なことか。自衛隊・平和憲法と日本は騒ぐが国防と外交は裏表の問題。アメリカべったりは外交鎖国だったのかと思う。現実世界の外交力なくして平和憲法を語る資格はなかろう、、、などどつい夢中になってしまった。7時近くになって帰宅。あまりベトナム語勉強しなかった。

コメント
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