■ここは僕が探していた街かもしれない。
ノイバイからダナン国際空港に着いたのが2時ごろ。空港の外に出るとバイクのおっちゃんが声をかけてきたのでニャトー(大聖堂)まで行ってくれと言った。ダナン行きバスはここか博物館前から出るはずだ。50Kdだという。
ニャトーに着いて50Kd札渡すと、急にニコニコして「にいちゃんホイアンまで行くんやろ!やすうしとくでぇ!250、、いや全部で150でええわ」「やめとくー、急ぐ旅やないし」
ところが、、、バス停が見つからん!人に聞いても、この辺やというだけで、ようわからん。おばちゃんが身振り手振りでバスが来たらこうして手を振って、、と、言ってくれた。そうか、ここは、そんなところか!、、。ベトナムの田舎はバス停がなく、決まった場所でバスが来る時間に行って手をあげて乗る。ベトナム語が話せないとバスには乗れない。いつくるかわからんでぇー!バイクのおっちゃんと行ったらよかったかなあ、どんなバスかもわからんしー、、、と、思っていると、あっ来た来た!あの黄色いバスやホイアンて書いてある、、。
いくらかと聞くと20Kdだという。20Kd札の裏のデザインはここホイアンのラゥラィビェン(日本橋)!、、、へぇー、、考えとるんかなぁー、粋やなー、、、。
1時間後にバス停についてセーマイ(バイク)のおっちゃんが近づいてきたので「セーオム?(オムは抱きつくの意味)」そうだというからホテルを示して「いくら?」「50」「また50かい。ここはみんな50やなぁ!ハノイやってそんなにぶったくらんでぇ!40にしたらんかいな(みたいな感じで言ってるつもり、、)」おっさん、、無言!!それでも着いて50Kd札渡すと10Kdのお釣りをくれた。
ホテルについて荷物をおいて街に出る。チケットセンターを見つけ観光チケット(120K)買って日本橋を渡りグエンティミンカイ通りのフーンフンの家(200年前の貿易商の木造建築、現在のこの観光客の洪水にもびくともしない。しっかりしたものだ!)
カフェのかわいい子に呼び止められてジュースでも飲もうかと思い、チャンレオを頼んだ。少し考えていたが彼女にやっと通じたらしく作ってくれた。パッションフルーツジュースのことだと知った。25Kd!
「オイチョイ!(OMG)」いつも飲んでるやつは50Kd!うちのトンのやつ、ふんだくっとる!!
カムフォ集会所で日本茶のお点前をしていた。見物客は誰もいなかったが僕が日本人と知っておばちゃん達が僕一人のためにお茶会を開き始めた。ベトナムに緑茶を教えたのは日本だ、とのこと、、じゃあ僕のいつも飲むタイギュエンのお茶も元はといえば、、えっタイギュエンのお茶ですって!、、ああ、やはりハノイだけじゃなくベトナム中で有名なんだ。、、、で45Kd請求された。ただじゃなかろうとは思ってたけど、、。通りの出口に鳥居がある(まさに日本の鳥居の構造そのまま)横に長崎から贈られたという大きな朱印船のレプリカがあった。
一度ホテルに戻り(アンホイの中にあるHanHuyenHomestay、38NgoQuyen)一休みして夜食事に出る。クーアムトックの食堂でエビトッピングのホイアン3名物の1つ揚げワンタンとホーチミンビール(ここは既にハノイビール圏外なのかな)55Kd.食堂のおっさんの話によると、この辺日本人は少ないよ。韓国人、中国人観光客多いけどみんなダナンで泊まるとか。
夜9時ごろのそこら中ランタンでいっぱいの街。外国人観光客で町中がいっぱい。テュポーン河のアンホイ橋の下を外人カップルのせた手漕ぎ船が通り、まわりに灯篭が流れていて、、、これがホイアンの毎日!
なんだろうここは?ベトナムであってここは確かにベトナムではない。町中が台湾の九分?ベトナムの浅草?
そうか!400年前はここアンナンは日本にとってのニューヨークだったのだ!と気づいた。ここが僕の探していた場所かもしれない。