■朝、朝食(朝食付きだ)の時30代のブルース・ウイルスのようなオーストラリア人と同席で話た。彼は3日目でもうこれから帰るところだという。今日がランタン際で毎月に1度、満月の日の晩街中の電気を消してランタンだけの幻想的な夜になるんだ。それが今晩だよ、ぼくはそれが見たさに昨日空路でここに来たんだ、というと、彼はここは2度目だけどそれは知らなかったと言って地団駄ふんで帰って行った。
街に出てタンキの家を探した。最初なので道を間違えていた。フーンフンの家と同じような感じで、2階にあがろうとすると止められた。人が住んでるという。えーっ、、、そうなんだこれら皆プライベートハウスで子孫かどうかしらないけどちゃんと住んでる。で、切符切りのお姉ちゃんは?、、公務員かな?ベトナムは社会主義の国だということをわすれちゃいけない。今度きいてみよう。
海のシルクロード博物館(貿易陶磁博物館)をさがしてはいるとしばらくして日本人ツアーグループが入ってきた。背の高いベトナム人が日本語で解説しているがすごいうまい。伊万里焼がどうだ備前焼がこうだと、、これは面白いなあと一緒になって聞いて回ることにした。福建会館に入るとき彼に自己紹介して名刺をもらう。トゥン君と言ってホーチミンの旅行社の日本語ガイドだが日本には行ったことがないという。フエの国家大学日本語学科卒だ。詳しいところを見るともしかするとフエの遺跡発掘に関与したのかもしれない。僕が帰国実習生の調査をすることになれば情報源のお願いをするかもしれないと思うから名刺を渡した。ツアーはマーケットで果物を皆が買い始めてだれてきた。ぼくがヌクサウが好きだというとヌクサウはハノイだけでしょうここにはないと彼は言った。皆はこれから食事に行くというので別れた。
ニャートクチャン(陳家の祠)は、まず庭を通って家にはいると受付で日本人とわかると日本語の説明書をくれる英語が分かれば英語で説明してくれる。ここはそのまま説明してくれる姉ちゃんがいつのまにかお土産屋の販売員になって、、内部がお土産屋になっていたのだ。英国人の夫婦と一緒にまわった。でも銅銭が展示しているところではハッピーコインの販売、各種お茶のサンプルの匂いをかがされたり、日本の銅銭も沢山あったでしょうといえば彼女は知っているらしいけど販売にいそがしくて、、。
ここの観光客は本当に多岐にわたる。フランス人、ロシア人はもとより、スペイン語圏も多い。僕が話しかけたチリの夫婦を案内していたベトナムのガイドは僕のスペイン語はすぐにベトナム語と混ざってしまうというと、全くそうだと同意してくれた。インド系、マレー系、あり僕も知らない言葉を話すヨーロッパ系もいた。しかし、なんといっても韓国人が多い。とくに若い韓国人女性がどこにでもいた。この街は日本人と中国人が作った街なのに現在のホイアンは若い韓国人のフィーリングに一番合っているというのは面白い。食堂にハングルのメニューが並んでいたり、、韓国資本がどんどん入ってきてハノイのようになってしまいそうだ。その点、日本は現在ベトナム関係が最良の時代にあるというのに、ダナン、ホイアンの観光人気が高まってきたというのに、まだ観光のレベルでさえも訪問客は思ったより少ない。
昼はホイアン橋ふもとのタンロンレストランでワンタンスープと333ビールで70Kd!タカッ!350円でもタカッ!
ホテルで一休みして4時ごろダナン行きバス停で明日のダナン行きバス時刻表を確認して来ようと出かける。歩いていくつもりが人に道を聞いたらセーオムのじいさんにふられてしまい30Kd!
バス停にはバスが来るだけでオフィスもなければ、係員がいるわけでもないようだ。運転手に聞くと始発5時半で1時間ごとに出るという。
明日は8時に出て9時半にダナンの大聖堂前でダナン大学のビン・レさんと会う予定をした。彼女は午後からダナンで始まる日越友好行事に参加しなければならないとのこと。ぼくものぞいてみたいと思っている。
歩いて帰る途中で「バインチュン」と表示のある食堂があったので店の人に誘われて座る。テトの正月料理と思い込んでいるからちょっと重いかな!とおもいつつ、、あれ、なにか違う。誘われて注文すると、小さい卵をのせた揚げワンタンみたいなものが出てきた。隣の子供連れの女子高生風の子と色々話すうちにそれはバイン(菓子)チュン(卵)だと気づく。日本語表記だと全く同じになってしまうところがベトナム語発音の難しさ。
彼女たちにベトナム語をほめてもらって、外交辞令の域を出ていないことわかっていてもうれしい。店のおじさんがほかの客に自慢するような感じで話しかけるのも悪い気がしない。ベトナム語を話す外国人観光客なんてめったにいないのだろう。
今日はいつから電気が消えて幻想的なホイアンになるのだろうと思いながらトーボン河沿いのレストラン街を歩く。感じのいいヨーロッパの田舎並みの雰囲気、、それ以上だと思う。ハノイのホアンキエムに負けない人出。それもほとんどが外人。日本でベトナムにこんな雰囲気があるとは夢にも思わなかった。そして市場、ここはベトナム。そして日本橋へ!あれっ夜は観光券の切符切りはいないんだ!橋を渡って歩くと既に店以外の電気は消えてランタンだけの街。昨日のカフェで止まると昨日のパッションフルーツジュースの彼女がうれしそうな声をあげた。
ココナッツミルクカフェを注文。待っていると若い日本人カップルが店に入ってコーヒーを買っていたので声をかけた。友達のお土産だそうだ。彼らが帰った後、彼女といろいろ話をした。彼女は19歳。英語を勉強したい。このみせは隣のランタン・小物店3軒が同じ1つの家族の家でここに住んでいるという。聞くと、生活するにはダナンと比べてホイアンは物価も安く、ここがいいという。
灯りの消えた街は足元が暗いだけで思っていたような幻想的な風景とは無縁にも思えたが、人出の多さには驚くばかり。川沿いを歩くので河を進む船と一面に流れていく灯篭の灯りは水面に反射して幽玄でもあり豪華でもある。人の波を押しのけるようにホイアン橋を対岸にわたり、川沿いを昨日の食堂まで歩く。
食堂の席はヨーロッパ系家族連れで満席。昨日のおっちゃんも忙しすぎて出てこれないようだ。9時近くになっていたが、そこで川岸で一休みして30分ほど時間をつぶして再度行ってみるとまだ家族連れは食事していたが、おっちゃんは席をとってくれて、僕はホイアン3大名物の1つカウ・ラウ(焼うどん風)とハイネッケンを注文。懐かしの焼うどんとはいかないけど、まずくはなかった。日本の伊勢うどんがルーツだとか、、。「今日は忙しいね、毎日こうなの?」「今晩14日(旧暦)は祭りだから特別だよ」。10時になると周りもだんだん人出がなくなって店片付けにかかる。50Kd払ってホテルに戻る。長い1日だった。