■昨晩9時ごろに停電してしまった。もうこの時間はだれも文句を言わないのか修理される気配はない。仕方ないと思い疲れていたこともあってそのまま寝たが朝には通電していた。当日の朝、学校から試験の場所は402号室だと連絡があった。さすがベトナム。ぼくもちっともあわてなくなった。早く起きて多少復習もしたが時間になったのでバスに乗ったはいいが降りるバス停を間違え仕方なくセーマイをつかまえ学校まで行く。いくらだと聞くと距離のチェックもせずに30Kだという。このやろうこいつもかと思い、にやり、とするとむこうもわかっていてちょっとはずかしそうににやり。時間前にぴったりついたので20kで十分とわかっていたが25K渡すとほんとにうれしそうに「ありがとう」。
10人定員中7人が受験。ぼくは6番目で2,3時間待たされることになった。順番を早くするかと聞かれたがそのままでいいと言った。後のほうが試験管も疲れてくるだろうから、、。7名中男は僕のほか1名、後5名は女性。うちの1人が日本語を話した。やっとこの大学は学生全員日本語を話すのではなく、日本学の学生だけが日本語を全員はなすのだと初めて気がついた。俺はベトナム学だから、、ま、いいか。
時間になって試験室に入ろうとすると荷物を全部とりあげられ、ペンとメモ用紙1枚だけで入室しろという。あれまーっ!準備したベトナム語用の想定問題回答例が使えないとは、やばいな!、、ま、いいか。と入室するとビックリ!2,3人かな、と思っていたのに校長を中心に10数人が被告席を取り巻き、まるで査問委員会だ。
正面の国家大学ハノイ校地域研究プログラムディレクターのザン教授がベトナム語でいくつか質問し答えていたが質問がだんだんわからなくなって沈黙時間がながくなったので、みかねたのか隣の先生が英語に切り替えてくれたのが地獄に仏。
用意した内容の帰国技能実習生フォローアップ調査研究をまくしたてた。こんなことなら英語でざっと予習しとくんだった。ひとわたり質疑がおわるとビデオインタビューには入ると言われて初めて右手上方に大きなモニターがあり共同ディレクターの東大のI教授が写っている。なんやー、そこで見てたんかー!
その研究はこっちにインターネットで送れるか、とか聞かれ、もちろんどこでも公表できるようにします、彼らは日本語がわかるので僕一人でも調査はできますから、、(前にいるザン教授が全てを察したようににやりとした)I教授は、、ベトナム語しか話せない人とはどうするんだ、、いや、ベトナム語が第一です。そのためにこの大学に来たんですから、、みたいな受け答えをしているうちに突然インタビューは終わった。おかげで全体的に皆さん研究内容には一定の関心は示してくれたようで実行可能性を伝えることはできたと思う。できそうもないことは言っても仕方がないから。
それにしても東大の先生は英語が上手ではないな。こっちの学生よりわかりにくい、、、とにかく終わった。ま、いいか。
結果は今月中にメールするとのこと。問題はないだろうと思う。
緊張がきれたせいか、気分が高揚し、、そうだホイアンへ行こう!と思う。
帰宅後、ホイアンのハンフェンホームステイで明日から3泊の予約を入れる。81ドル。ダナンまで列車やバスで15時間はかかることがわかり間に合わないのでベトナム航空VN173のフライト予約をする。12:30発、13:55着。約1万5千円
明日からホイアンでランタン祭りがはじまる。