■昼頃になって学校へ行く。今日は古田元夫学長の著作を読んでおこうと「日本ベトナム関係を学ぶ人のために」の中の「日越国交27年史の若干の問題」を読んだ。2000年の著作なので27年史になる。
ベトナム戦争後アメリカ側についた日本だが、戦時紛争地との国交回復には田中首相の日中国交回復に隠れパッとしないがベトナムとは外務省の「独自外交」という形でなされた。これは結果的によかったとする内容。これは人々が日本が中国と同様ベトナムを占領していたという事実をあまり知らないから意味がある。僕も残留日本兵の話を聞くまで全く知らなかった。
大東亜戦争勃発後フランスはナチに敗れパリを奪われビシー政権となる。それを機に手薄になったベトナムに日本はいりこみ行政組織を乗っ取り日本大使、領事をハノイ市長、サイゴン市長にしてしまい軍を送って南方戦線基地とした。これが世にいう「仏印処理」フランス領インドシナ占領である。ここが日本の南方戦線攻撃の拠点となった。
連合軍はノルマンジーに上陸してパリに向かいパリを奪還、地下でレジスタンス運動を指揮していたドゴールが自由フランス軍をつれてパリを開放する。一方日本の敗戦を確信したホーチミンはじっとその時を待つ。そして日本がポツダム宣言を受諾したその「真空状態」を機にハノイに入城しベトナム独立を宣言する。
その独立をフランスは認めない、、、とインドシナ紛争につながるのだがこのあたりは今川幸雄の「ベトナムと日本」を読み始めた。
夜は伊藤まりこ先生の博士論文の概略をネットで読む。彼女の先生が古田校長なのだが彼女はもっぱらの文化人類学。若干の色合いがちがう。これが地域研究なのかな?