くまぐー日記

くまさんの電脳室リポート

仏印処理

2018年07月12日 | Weblog

■昼頃になって学校へ行く。今日は古田元夫学長の著作を読んでおこうと「日本ベトナム関係を学ぶ人のために」の中の「日越国交27年史の若干の問題」を読んだ。2000年の著作なので27年史になる。

ベトナム戦争後アメリカ側についた日本だが、戦時紛争地との国交回復には田中首相の日中国交回復に隠れパッとしないがベトナムとは外務省の「独自外交」という形でなされた。これは結果的によかったとする内容。これは人々が日本が中国と同様ベトナムを占領していたという事実をあまり知らないから意味がある。僕も残留日本兵の話を聞くまで全く知らなかった。

大東亜戦争勃発後フランスはナチに敗れパリを奪われビシー政権となる。それを機に手薄になったベトナムに日本はいりこみ行政組織を乗っ取り日本大使、領事をハノイ市長、サイゴン市長にしてしまい軍を送って南方戦線基地とした。これが世にいう「仏印処理」フランス領インドシナ占領である。ここが日本の南方戦線攻撃の拠点となった。

連合軍はノルマンジーに上陸してパリに向かいパリを奪還、地下でレジスタンス運動を指揮していたドゴールが自由フランス軍をつれてパリを開放する。一方日本の敗戦を確信したホーチミンはじっとその時を待つ。そして日本がポツダム宣言を受諾したその「真空状態」を機にハノイに入城しベトナム独立を宣言する。

その独立をフランスは認めない、、、とインドシナ紛争につながるのだがこのあたりは今川幸雄の「ベトナムと日本」を読み始めた。

夜は伊藤まりこ先生の博士論文の概略をネットで読む。彼女の先生が古田校長なのだが彼女はもっぱらの文化人類学。若干の色合いがちがう。これが地域研究なのかな?

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桂先生

2018年07月11日 | Weblog

■9時に学校に行くと学生はまだ誰も来ていなくて昨日の事務の人が案内してくれた。始まってみるとパナソニックの会社説明会だった。集まった学生はみな、さすが優秀そうな感じ。会社紹介の時だけは英語の説明だったが、後はずっとベトナム語で全然わからず居心地の悪い思いをした。しかし、入学すればこれからはこんなことが続くのだろう。

JapanStudiesの顔見知りの学生もいた。20人くらいだろうか?PublicPolicyの女子学生が60歳の担当教授の桂先生を紹介してくれたので会いに行くことにした。先生の部屋は6階の一番奥。数名の学生がなにやらしていたが奥にいた先生はすぐに快く会ってくれた。ヨーロッパから帰ったばかりといいながら「ベトちゃんドクちゃんの名づけ親です」と紹介された。僕の話を聞いて、高齢者の人にも是非入学してもらいたい、と好意的な話だった。立命館の先生で、後でネットで調べるとダブルマスターながら大変な数の学会にはいっているマルチな方で里山や博物館学とか、、今度聞いてみよう。

向かいの部屋が伊藤先生の部屋なのでちょうど学生が出てきたところを頼んで相談に乗ってもらった。論文テーマのことで聞くと、今年卒業の4人のうち1人が英語で日本へ留学する予定の学生に聞き取りしたものがあるという。見せてはくれなかったが、かなりなんでもいいみたいな感じ。個別の送り出し会社に限定して、その市内、郊外等の施設活動などのもいいなどのアドバイスがあった。

入学前からこれほど学校とかかわれるとは思っていなかったが、今年初めての一期が卒業ということで学生も少なくこじんまりとした環境。工学系が多いこともあって男子が多い感じがする。外国語大は女性ばかりだが、、。

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入学説明会?

2018年07月10日 | Weblog

〇学校で本を読んでいると初対面の女性がきて「明日説明会があるから来てください」と言う。「いや私はまだ学生じゃあなく、受験希望者ですから」というと「わかっています」てっきり入学説明会かなと思った。でも、どうしてそんなことを知っているのだろう?図書館はガラス越しに廊下からまるみえなので誰が図書室にいるかは一目瞭然なのだが、、。帰宅してネットで古い新聞記事を探し、学校の入学案内をみるとすべて終わっているが場所は同じ415室だ。とにかく行ってみよう。

ここ1週間あまりだらだらやっているダイエットはどうしようか?若干楽になったような気もするが食欲はわかない。ちょっと気になっていた耳のうしろの頭痛。これはなくなった。血糖値がさがってふらついたるするとやばいし、、と思いながら、僕専用「ブン・ダ・ニャット」15kを注文。

 

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「ベトナムの労働・法と文化」

2018年07月09日 | Weblog

■今日VJU図書館で夢中で読んだ本。香川孝三という神戸大学の先生がベトナム公使として赴任した1年間の労働法研究生活をまとめた本だが各分野がよくまとまっていて読みやすいし興味深い。恩師の石川吉衛門先生(有斐閣の労働組合法の著者で中央労働委員長を勤めた)が2005年に亡くなれたことが書いてあったので驚いた。

石川先生の授業は司法試験勉強中に東大にもぐりこんで聞いていた時期があった。受験科目に関係なかったが、会社を辞めて司法試験の勉強をはじめたばかりだったので、先生の最初の授業で話された労働組合の話があまりにショッキングだったのが忘れられない。東大の卒業生は入社すると社長から「次の労働組合委員長に立候補しろ」といわれる。「君たちはこれが信じられるか!私の講義を聴いたらそれがわかる。」というので、地方大学工学部卒で「組合」のことなど何も知らず、入社後、会社の当時の「同盟」第二組合から妙な嫌がらせや共産党員だとの風評を流されたりして嫌になってやめてしまった当方としては、、これじゃあ東大生にかなうはずはないなぁ、、と思った。後日、親友に組合つくりを提案すると彼はすぐに出世した。

そんなこともあって、香川教授は年も同じぐらいで60過ぎでベトナム公使として赴任しているので親近感を持った。よく1年でここまで研究できるものだなと思った。

ベトナムでの裁判制度。結社の自由はないが、ストライキがみとめられていること。特に労働力輸出として実習生送り出しのこと、人身取引人身売買(トラフィッキング)、ジェンダー問題(ドイモイによる貧富格差増大を解消する視点に気づかされる)などの記述がまとまっている。
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教師会例会

2018年07月07日 | Weblog

●日本語教師会は3時からジャパンファンデーションであった。藤原先生の「やさしい日本語」解説。「優しい」「易しい」をかけて公文書を外国人にわかりやすい文書になおそうという神戸地震を契機にはじまった運動。大阪ボランティア協会が推進している。解説がつまらないと思ってかどうかベテラン連中が少ない気もしたが、僕としてはGlobishと同じと思うのでふんふんと聞いていた。

自己紹介のとき僕はVJU受験のために修士論文テーマを探している話をした。滝田さんに相談したかったが昨晩も悩んだ末「ハノイの人材ビジネス」一般論で行くかな、、との結論に達していた。林さんに聞くと彼の場合は論文提出から審査終了まで1年近くあるような話をしていた。

たしか貿易大の先生でよく顔をあわせることのある彼女がVJUに出願したいと言ったらベトナム語ができないとだめだといわれたそうだ。大学院を出ていると人から一目おかれるからというから、僕はアメリカで既に大学院でているけど、そうでもないでしょ、というと意外な顔をされた。

2次会の「匠」で初めての人たちと話す。中国語教師、日本語教師、ベトナムでも、、という人にベトナム語の勉強法を聞こうとしたが彼は少し個人的に勉強しただけだとわかった。ベトナムの大学で勉強した人たちのグループがあるといいのに、、。

ベトナム人は夜カラオケで騒ぐのが好きでうるさいと思わないが、日本では迷惑で、、というと日本から帰った実習生に聞くと「日本の夜は静かで寂しかった」と言ってますよ、と笑われた。

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年金受給手続き

2018年07月06日 | Weblog

●シルバー人材センター連合厚生年金基金だったか、初めての現況届けが来たとLINEで写真を送ってきたので番号確認してこちらから直接基金に在留証明書を送ろうと思い大使館に出かけた。現況届けは誕生月末締め切りで出すことになるので2週間はみておかないといけない。大使館には「年金受給手続き」用の見本があって、そのとおりに書かないといけない。前回は使途「現況届けのため」と書いたら「年金受給手続き」と書き直させられた。今回は住所確認のための賃貸契約書の日付が昨日で終了しているから使えないといわれてあわてたが、「、、相違ありません」の上申書にサインして出してくれた。

こちらは国民年金と違う個人年金の部類だから在留証明は有料。シルバーの仕事は60過ぎてから7年ぐらい。いくら出るのか知らない、たいしたことないはずだがとにかくもらっておこう。

この前の健康診断で体重71キロ、血圧145に。驚き断食して調整することにした。空腹感など、一切なし。

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VJU図書館

2018年07月05日 | Weblog

■断食三日目。Luuさんに図書館が使えるかどうかの返事はなかったが、VJUへ直接行ってみることにした。ベトナムなんだからちゃんと電話で確認してからでかけるなんてしないでいいだろう、でたとこしょうぶなんだからと思って、事務所に行った。Luuさんからちょうど許可が出たところだ、と言われ、ちゃんと見てくれているんだと意外に思った。入学願書申請料を払い、4階の図書室に入る。冷房の効いた応接室で5列ほどの本棚に各科の英語専門書、日本語のベトナム研究書、日本語教科書などがある。思ったより少なかったがさすがにベトナムだけの書籍でこんなに並んでいるのは見たことがないから興奮気味。最初、職員以外僕しかいないかった。読みたい本を10冊ほどリストアップして「ベトナム国家と民族」阿曽村編の上を読み始めた。

この本は各の論文の寄せ集めだから全部はもちろん読み切れない。まず外交からと思い元ベトナム大使の論稿を読みだすと面白くて役に立つ。服部元大使は近い年代の福井出身だと知ると親密感もわく。

阿倍仲麻呂は歌人というより日本人でありながら科挙に合格して中国の長安の高級官僚で、ハノイ(タンロン)に派遣されているから、大使と同じ境遇にあったわけで外交官としては興味あるとことだろう。

中越紛争の論稿は興味を引く。ポルポトの実態をキリングフィールドで見てきているのでシアヌークの複雑な立場、ベトナムの外交姿勢など謎が解けるようにわかった。ポルポトが死んだのは、タイのサンクチュアリ。カンボジア国王だったシアヌークが死んだのは北京。タイの巧妙な外交、鄧小平のベトナムたたきの意図、、そして国連での明石さんやパリ会議での議長今川大使のおかげでカンボジア問題にやっと日本人の名前がでてくるが本当に日本の外交は無知、無力であったことがわかる。

国連理事加入問題の時あれほどODAで日本が援助したにもかかわらずタイはマレーシアに裏切られ最後はベトナムとインドネシアしか賛成してくれなかった時の服部大使の口惜しさがベトナムに対する愛に変わったのかもしれない。

中越紛争は表面上の中ソの代理戦争にとどまらない奥の深いインドシナ地域紛争だ。インドシナ紛争、ベトナム戦争、中越紛争とベトナムは勝ち続けるが、実態はぎりぎりの綱渡り。それを一番よく知っているのがベトナム自身。小学生のテキストに中越紛争の記載はないし日本兵食糧調達「200万餓死事件」(日本の南京虐殺事件のようなとられ方をするがこちらはまったくの濡れ衣)も記載がない。領土問題も国内的には非常に微妙。すぐ竹島だ、北方領土だと国中が空騒ぎするどこかとは大違いだ。

毛沢東は「外交は血の出ない戦争」と言った。お粗末な軍隊しかないベトナムや平和憲法を持つ小国コスタリカと比べてなんと日本外交のお粗末なことか。自衛隊・平和憲法と日本は騒ぐが国防と外交は裏表の問題。アメリカべったりは外交鎖国だったのかと思う。現実世界の外交力なくして平和憲法を語る資格はなかろう、、、などどつい夢中になってしまった。7時近くになって帰宅。あまりベトナム語勉強しなかった。

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現況届け

2018年07月04日 | Weblog

●日本厚生年金機構から「現況届け」の請求が来ていた。年金受給者が存在していることの証明で僕は既に在留証明を提出しているので直接ベトナム住所に送付してきたのだが、昨日マイナンバーカードのコピーを添えて封書の宛名書きも終えて大使館に来たのだが、住所を確認するものが要るといわれて帰らざるを得なかった。在留届は申請すれば住民票みたいに出してくれるとばかり思っていたが、毎回住所確認が必要だとのこと。部屋の賃貸借契約書をもってきてようやく今日発給してもらい、バスでホアンキエムの中央郵便局まで行って切手を買って発送。ここの国際郵便局までわざわざ来るのは別の郵便局では郵便物発送用紙はベトナム語だけで細かく書かないといけないし混雑していて時間がかかるからだ。なぜかここでは現金だけで切符が買えて外のポストに投函するだけでいい。

どこで郵便物は検閲するのだろう?これだけするのに半日近くかかってしまうが、、。

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ベトナム人とサッカー

2018年07月02日 | Weblog

■サッカーにはあまり興味なかったがベトナム人は全員サッカーフアンで去年のU24のウズベキスタン戦の後などノイバイ空港からハノイ市まで渋滞でたいへんだったらしい。交通整理のお巡りさんが一緒になっているんだものね。

ワールドカップの日本・コロンビア戦をこのアパート守衛のタンさんに知らされて僕もネットで結果を見るようになった。ベトナムには小学生から学校でやっている伝統のタンカオというキックでする羽根つきのような競技がある。バトミントンの羽根のようなもの足でけるもので日本の「蹴鞠、けまり」に相当するかもしれない。曲芸の域にある人がホアンキエム湖の周りでやっていたりする。だからサッカーなのかな、と思ったりする。

新聞報道によるとサッカー賭博でぼろ負けして自殺者がでたりするくらいで、今年のワ-ルドカップは質屋がてんてこ舞いのいそがしさらしい。質種はiPhonでバイクは今は置くところがないからとれない。ベトナムの男は暇があれば博打!屋台でトックラオをやりながら、少額のお札の番号で丁半賭博をやっているみたいだ。

屋台には必ずトック・ラオ(紙タバコはトック・ラ)というでかい尺八のようなやつがあって、ラオスの葉タバコをやっているおっさんたちが必ずいる。ライターに火をつけて着火するまで息を吸い込むとき、ひゅるひゅるという音がして、唾液だか何だかしらないが液体が流れ出し、つよい煙を肺まで一気にすいこむ。僕はここでせき込みむせてしまい、もう咳が止まらなくなってしまうので「50年ぶりにタバコ吸ってみたがこんなひどいものは金輪際やらないぞ!」と言ったら周りの連中大笑い。

ベトナム女性は絶対賭博はしないし、よく働くが男はやさしくて、よく子供の面倒をみていいのだが皆お金を賭博ですってしまう。伝統的に闘鶏があるしロッテリもさかんだ。よく、田舎の駅まえなどでおばさんが宝くじを売っている。ま、博打好きがいるのはどこも同じかもしれないが、、。

流しの修理にタウは結局来なかった。昨晩の女性も約束の7時に現れなかったが、10時ころ2人で急用ができてごめんなさいと言いに来た。来ようが来まいが今の僕には何のストレスも感じない。ここはベトナムだから、、。

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掃除.洗濯、チャン・レイのこと、そして訪問者。

2018年07月01日 | Weblog

■きのう流しのパイプが外れてツウに応急で直してもらったが流し台自体がぐらぐらなので守衛のタウに見てもらい明日直してもらうことになった。そのタウもタンタンと交代のときひどい口げんかをしていてこころなしか落ち込んだ様子。そういえばこの前道でグラブの運転手が殴り合いのけんかをしていた。周りがとめていたが当人は血まみれで、止められた直後、バイクですぐ追いかけていったから、、どうなったか知らないが結構は激しいなぁ、、。

久しぶりにロボットのオシン(こう呼ぶことにした)に掃除させて敷きっぱなしのマットレスをベランダで干して(このベランダがまたひどく汚れていたが)シーツと毛布を洗濯しようとランドリーに持っていく。今日は日曜でいつも行く店は閉まっていた。帰ろうとすると、屋台のトンがちょっと待てという。彼に連れられて別の店に行く。ここも洗濯屋だったのか、いつもとおり過ごして気づかなかった。戸は閉まっていたがトンが店の人を呼び出し洗濯を頼んだ。

トンから電話があり、階下に下りてトンと洗濯物を受け取りに店に行く。洗いだけで25Kd。乾燥まですると40Kらしい。タウも出てきて、トンの屋台の裏、SOS(大きな孤児支援施設)の中庭のフェンスにかけて干しておけという。そして、乾くまでの間、いつもように屋台で、、。

このところ連日チャン.レオ(50Kd)を飲まされる。破格に高いが確かにうまい。他に飲む人はいなくて、もしかすると僕だけの特別仕様かもしれない。濃い黄色のジュースでつぶした実と種がゼリー状になって「蛙(おたまじゃくし)のたまごみたい」というと笑っていた。僕の序列で言うと、1番チャン・レオ、2番ヌク・サウ、3番ヌク・ミア(サトウキビジュース)4番熱いお茶(タイグエン産)ということになる。正直いうと僕はベトナムの食事はうまいと思ったことがない。鯵の塩焼きのほうが全然おいしいじゃないか、、と思うが果物と飲み物はおいしい。果物は日本産が品種改良されていてずっとうまいが、日本にないバイやドラゴンフルーツ、ニョム・ニョム、マンゴスチンなど、いろいろある。飲み物は上記のとおりだが、、もしかすると僕の味覚が少しベトナム化してきたかもしれない。こちらの人は日本食のこれがおいしいよ!と誘っても決して食べようとしない。「どれどれ、、」と言ってあそこがおいしいだのどうのこうのいう文化がないのだと思う。来日して日本食が大好きになったベトナムが多いのはそういうことだ。今、普通に草や虫を食べるようになってようやく「飽食の時代」に気づく、、みたいな。

洗濯物も乾いたので部屋に引き上げる。その晩、タウが2人の女性を連れて部屋に来た。同じ5階の入居者フエンさんとトゥイさん。フエンさんは英語が勉強したいので会話の練習に付き合って欲しいとのこと。じゃあ夕方7時すぎに、、ということになった。部屋をきれいに掃除したところでよかった。

 

 

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