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スメラからキャンティ

野地秩嘉著「キャンティ物語」を読む。

キャンティ物語 (幻冬舎文庫)キャンティ物語 (幻冬舎文庫)
野地 秩嘉

幻冬舎 1997-08
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キャンティというのは先日伝記を紹介したピアニストの原智恵子の元旦那さんである
川添浩史氏が経営していたレストランのこと、とは普通言いませんね(笑)
なんでも芸能界では有名なお店なんだとか。
(お店のHPはこちら→レストランキャンティ
プラナリアが読んだのはもちろんスメラ関係の興味からですが、
他にもなかなか面白いエピソードが出てきます、が、まずはスメラ系の話題。

さて、この本ではまず「クラブスメル」という団体が登場。
川添氏の他、原智恵子、オペラ歌手の三浦環、そして建築家の坂倉準三が
「それぞれの仕事場として作った」ものであったが、その後
「パリ帰りの友人達の集会所」になった、と書いてあります。
(所在地は赤坂・檜町、設立は1941年とのこと)
次いで「すめら学塾」が知人を介して知り合った「生涯、研究と著述に没頭した」「在野の学者」
仲小路彰という人物が主催する私塾として登場します。

浩史は仲小路に傾倒し、「クラブスメル」にも参加してくれるよう頼み (同書66P)

むむ、クラブスメルとは別個に成立した団体であるとされているわけですね。しかも

「すめら学塾」という名称からは、右翼的な印象を受けるが、
仲小路が研究していたのは広義の国際関係論と未来学で
 (同書65P)

と何故かなんとなく右翼で無いような印象を与える解説が付いています。
でも右翼(国粋、というべきか)的な視点からの国際関係論や未来学も当然あるわけで
(「満蒙の特殊権益」とか「大東亜共栄圏」って国際関係論でしょ?)
なんだか妙な感じですねぇ、、まあ良いんだけど。
ダ・ヴィンチ展、国際文化振興会、高松宮とキイワードは揃っている。

にしても仲小路や「すめら」が憲兵に目を付けられなかった(<本当か?特高はつけていたみたいだけど)理由が
「私塾の名称が国家主義的に見えたこと」と「彼自身が高松宮の庇護の下にいたせい」というのはいくらなんでも・・・。

さて、スメラ以外では

・パリ時代川添氏は貧乏だったロバート・キャパとつるんで遊んでいた。
 (氏は後にキャパの「ちょっとピンボケ」を翻訳する!)
・細野晴臣さんが仲小路さんを「生涯でもっとも影響を受けた一人だと言」っている(らしい)。
・川添氏は頼まれて1940年のヴェネチア映画祭に日本映画を持っていている。
 「上海陸戦隊」(<監督の熊谷は後にスメラに関係)と「土」(<吐夢さんのリアリズム映画)の二本。
 この本によると全然受けなかったらしい。
・70年万博の富士グループパビリオンの設計者が村田豊に決まるまでの裏話。
 富士グループの大成建設が最後まで自社設計に拘ってもつれにもつれたらしい。
 村田はパビリオンのプロデューサーだった川添とは坂倉準三の紹介で知り合った。
 (関係の過去エントリー→芋虫ゴロゴロ来ました~!
・キャンティは村田の設計。今でも当時と変らないらしい。

なんかが面白かったです。
でもノンフィクションって事実関係が気になり始めると辛い読み物になってしまうのね・・・。
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