タミヤ製1/35オートバイセットってのがある。
言わずと知れた超重ドイツ国防軍サイドカーセットです。
BMW-R75とツンダップKS・750です。
昔は何度買ったかわかりません。
実際の写真は、こんな感じでしか見た事ありませんでした。
側車付きです。
今はネット検索すればいろんな写真が見られるようになりました。
こんな写真があるなら、ジオラマ化したら楽しいかも?
バイクを操る腕も良かったんでしょうね。
大したもんだと思いました。
当然、船(側車)を上げるなんてもの熟練搭乗員にとってはお茶の子さいさいだったんでしょう。
3号戦車の傍らで、こんな事をしてる戦車兵もいたみたいです。
なんでもつくってますね。精度も高いんでしょうね。
昔々、幼少の頃、親戚の叔父さんがメグロに乗っていました。革ジャンでした。(今思えばイイブリコキだったのでしょう)
フロントフェンダーには鉄板?(何か文字が書かれていたような)
その頃はBMWやトライアンフのコピーっぽかったのでしょうかね。
大脱走でスティーブ・マックイーンが乗って逃げていたのはトライアンフだったように思います。
あの頃のバイクのカタチもまた魅力的ですね。
父はメグロの500に乗っていた影響で私が原付の次に買ったのはカワサキのツインでキャブトンマフラー付けてド・ド・ド・ドしてました(笑)
プラモといえばウォーターラインシリーズ!
叔父が翔鶴の零式艦上戦闘機乗りでしたから
艦船や航空機が大好きでした!
叔父は絵が上手で生前戦地から最後に母宛に送って来た手紙には艦上で零戦をバックにする肖像画が描かれてます。
アメリカの軍用バイク(ハーレー)も売られてましたが、全然触手が伸びず、買うのはツンダップかBMWのみでした。
大脱走で使ったバイクは、当時のBMWはリジットだったのでジャンプが出来ず、トライアンフのTR6ってのが使われてます。
当時のバイクなのでハンターカブでジャンプするぐらい大変だったと思いますね(笑)
大脱走を今観ると、バイクのカーチェイスシーンは早送りだったと分かりました。
ただ零戦だったか?艦爆だったか?忘れてました。
このオートバイシリーズは、我が家にもあったんですが、今の家に引っ越す際に全部廃棄してしまいました。
なにせガラクタでして、バイクや戦車を数えたら100両近くあって、ゴミを引っ越すってのもなんだしって事でね。
一部はヤフオクにジャンク品で出しましたけど、1500円ぐらいにしかなりませんでしたね(笑)
側車を上げるのは割と簡単です。
写真でサイドカーのタイヤだけ接地してるのは、凄そうですね。瞬間的にそうなった?
Zundapp、側車無しが欲しい(プラモでなく実車)。何でもC国製の今風に、長江でもいいけど(笑)。
なにせ側車付に乗った事ないので分からなかったです。
側車のタイヤだけ接地してるのは、ジャンプとかしての瞬間の一枚でしょうね。
ドイツ軍用オートバイは、殆どリジットでサドルのバネとタイヤの空気圧がサスペンションですよね。
乗り心地ってどうだったんだろうと思います。
まあ、便利を知らないと不便が分らないですから、そういう事かもね(笑)
側車のある方向(日米で逆なんで)へ急ハンドルを切ると上がります。上がったら二輪なんで、普通にバランスをとるだけです。
千本鳥居に川倉地蔵ですね。グーグルさんに保存しました。今日訪ねます。千本は、以前RJさんのブログで見ました。
何となく理解出来ます。
川倉地蔵尊は・・・恐山以上の霊場です。
通っただけで「あれれ?」って思いましたので。
例大祭では、恐山と川倉地蔵尊でイタコの口寄せがあります。
二兎を追う男さんも行けば何か感じるかも?
あの界隈は、金木町(元五所川原)だから、青森県最強の方言地帯なので言葉が理解出来ませんでした(笑)
まっ、私は川倉地蔵尊へは、まだ行ってませんけどね。
未だにこの時代のニューモデルが投入されるとは「タミヤ」恐るべし!!
当時も1号戦車のプラモはありましたが、詳細な部分が実車と違うとかありました。
もちろん他の戦車もありましたが、1号2号戦車ってマイナーでしたからね。
実際は初戦のポーランド侵攻かなり活躍してるはずです。
まあ、3号戦車4号戦車が足りなかったからでしょうけど・・・