社台滝再訪失敗の帰り道、真っ直ぐ帰るつもりだったが、八雲町落部川に鮭の遡上が見られるかと思って寄り道した。
しかし、雨脚が強く、川の水も増水して鮭見物どころではありませんでした。
ふと、遠くにある看板が気になって見てみました。
なんでしょう?
なんて読むんだ? 「べんかい たこじろう」と読めるが、そんな名前じゃないと思って帰宅後に調べてみた。
「べんかい たこじろう」で間違いありませんでした。
看板にも書かれてるが、どんな人かは下記。
1847年生まれ、現在、渡島支庁八雲町の落部コタンに生まれる。アイヌ名は、イカシパという。イカシパの意味は「何にでも優れている」という意味である。なお、「弁開凧次郎」とも表記されている。
1861年家督を相続。
1865年結婚。
誕生の地に 現在落部神社がある。
名前の由来は 弁開は父親のベンケイから弁開、(1876年)としました。凧次郎については不明。
獣医や園芸家(薬草)としての才能も示す。八雲の「エカシ」として、アイヌの代表として、和人たちと、交流した。森村の医者の村岡格と(1896年)交流を持つ。
1902年の八甲田山遭難事件の際、八雲町のアイヌの若者7人後日3人(合計10人)とともに、2月9日に、八甲田山へ行き、遭難の危険にもひるまず捜索活動を行い、遺体収容活動を担う。(弁開凧次郎、他先発隊7名)
(後日3月中旬 3名参加)
アイヌ犬(北海道犬)が活躍した。(携帯電話のコマーシャルの犬です)
1919年、後志支庁黒松内で死去する。
死亡月日 10月22日現在の観音橋より転落、脳挫傷の重傷を負う。
10月23日72歳で永眠。
現在この橋のたもとに弁開凧次郎翁終焉の地の石碑があります。
全然知りませんでした。
しかし、雨脚が強く、川の水も増水して鮭見物どころではありませんでした。
ふと、遠くにある看板が気になって見てみました。
なんでしょう?
なんて読むんだ? 「べんかい たこじろう」と読めるが、そんな名前じゃないと思って帰宅後に調べてみた。
「べんかい たこじろう」で間違いありませんでした。
看板にも書かれてるが、どんな人かは下記。
1847年生まれ、現在、渡島支庁八雲町の落部コタンに生まれる。アイヌ名は、イカシパという。イカシパの意味は「何にでも優れている」という意味である。なお、「弁開凧次郎」とも表記されている。
1861年家督を相続。
1865年結婚。
誕生の地に 現在落部神社がある。
名前の由来は 弁開は父親のベンケイから弁開、(1876年)としました。凧次郎については不明。
獣医や園芸家(薬草)としての才能も示す。八雲の「エカシ」として、アイヌの代表として、和人たちと、交流した。森村の医者の村岡格と(1896年)交流を持つ。
1902年の八甲田山遭難事件の際、八雲町のアイヌの若者7人後日3人(合計10人)とともに、2月9日に、八甲田山へ行き、遭難の危険にもひるまず捜索活動を行い、遺体収容活動を担う。(弁開凧次郎、他先発隊7名)
(後日3月中旬 3名参加)
アイヌ犬(北海道犬)が活躍した。(携帯電話のコマーシャルの犬です)
1919年、後志支庁黒松内で死去する。
死亡月日 10月22日現在の観音橋より転落、脳挫傷の重傷を負う。
10月23日72歳で永眠。
現在この橋のたもとに弁開凧次郎翁終焉の地の石碑があります。
全然知りませんでした。