参道の右手に塀の外で見たのと同じデザインの説明板がある、
そこには、つぎのように書かれている。
東 明 寺(とうみょうじ)
所在地 川越市志多町
東明寺は、時宗(開祖一遍(いっぺん)上人)の寺で稲荷(いなり)山称名(しょうみょう)院
東明寺と称し、本尊は虚空蔵菩薩(こくぞうぼさつ)である。
お寺の位置は、川越台地の先端が水田地帯に接する北
の端にある。このあたりからは、新河岸(しんがし)川を境として川
越の町の北側を入間川を主流とする分流が幾筋も流れ、
水田地帯を形成しており、古くからこの穀倉地帯を領す
る多くの武士団が存在した。東明寺は、こうした土豪の
一人河越(かわごえ)氏の庄園の東端に連なる広い寺領を有していた。
その寺領は、東明寺村、寺井三か村、寺山村などに及び、
広大な境内を有して、その惣門は今の喜多町の中ほどに
あったと伝えられている。このことから、喜多町の古名
を東明寺門前町と称したといわれている。天文(てんぶん)十五年(一
五四六)四月に戦われた上杉、北条軍の川越夜戦は、一
名東明寺口合戦といわれ、この地の要路松山街道を含ん
だ東明寺寺領と境内で争われたものである、
昭和五十七年三月
埼 玉 県
昔はかなり大きな寺だったようだ。
そのまま残っていれば、観光の目玉にもなったかも知れない。
本堂の前には、参道の両側に木の柱が立っている。
その後方右手に、別の説明板がある。
お寺で建てたもののようで、手書きの墨文字で書かれている。
虚空蔵菩薩
鎌倉時代以前に創立されたと言われる
当山、稲荷山称名院東明寺の本尊様は
「虚空蔵菩薩」であります。この菩薩様
は智慧と福徳を大空(虚空)のように無
尽蔵にお持ちであるところから「虚空
蔵菩薩」と名付けられた。わが国では
平安時代から信仰され、求聞持法(ぐもんじほう)とよ
ばれる〝頭脳を明晰にし、記憶力を増す〟
ための修行をする時の本尊なのである
が、後世になって、一般大衆に広く仏
教が広まるに従い、福徳の面が一層強
く信仰されるようになり、現在のよう
に学問と福徳を授ける菩薩として広く
崇敬され、信仰されるようになった。
尚この菩薩様は、十三仏の一仏で、十
二支の丑寅生れの方々の守り本尊でも
あり、亦毎月十三日が縁日であります。
「学問と福徳を授ける菩薩」とある。
これはもっと宣伝すべきだろう。
毎月13日は縁日とあるが、何かやっているのだろうか。
6月13日は日曜日だが、何かやっていてもコロナ禍でできないかも知れない。
追記
天明3年(1783)年の川越藩の日記の正月14日に、つぎのように書いてある。
「一志多町東明寺より、昨十三日虚空蔵開帳ニ付、御祈祷御札差上度旨申出候段、町奉行より申出候、無用致候様申聞之」
江戸時代は、13日に虚空蔵菩薩の開帳があり、祈祷が行われていたことが分かる。
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