「鹿飼の入間川沿いにある「川越工業団地」からはじめる。
県の企業局が、市街地に混在している中小企業の工場をここへ分譲移転させて、その跡地は公園や災害の時の待避所に活用するなど一石二鳥の施策であった。純農村地帯だった景観は一変した。」

工業団地の南側を大きな弧を描いて通る道があり、その一本南側の道沿いに観行院跡がある。
正面に見えるのが石田本郷集会所で、左側に墓地があった。右側には遊具があり、数人の子供達が遊んでいた。
「観行院跡は、その用地の南側にある。現在ある石田本郷集会所と墓地は、もとは天台宗で福寿山観行院といい、江戸上野の東叡山の末寺だった。本尊の薬師仏と十二神将は、現在も会館中央に安置されている。」

入口の直ぐ左側に大きな宝篋印塔が建っている。
「境内には、天明六年(1786)に建てられた宝篋印塔がある。ここの住職で、近郷近在の手習いの先生をした応玄(天明四年寂)の菩提を弔うために、世話人の山下藤七、仲田長治良ら筆子二二人が建てたものである。」

その右手には、三体の石仏があった。

宝篋印塔の後ろに赤い屋根のお堂があり、六地蔵が並んでいた。