川越雑記帳2(川越見て歩き)

城絵図の裏の碑文は遠目なり/代り銘板柵にはあれど(本丸御殿)

川越城址に残る本丸御殿。


その左手に木の門がある。


その更に左手前に、大きな石燈籠とともに石碑が建てられている。


石碑は川越城の図で、下につぎのように書いてある。
 本図は、「日本城郭史資料」の川越城図をもとに作成したものです。


この一角は木の柵で囲んであり、大きく「立入禁止」と書いてある。
柵に沿って迂回すると、石碑の裏面が見え、そこに碑文が彫られているのが分かる。


カメラで拡大すれば見えるが、直接ではよく読めない。


石碑の前の柵には、金属製の銘板があり、そこに碑文が刻まれている。


     寄  贈
  埼玉県立川越中学校・川越高等学校創立百十周年記念

此処に城ありき。城は四百年余の歳月、
川越の地を治理し、明治の世、微睡(まどろみ)に入れり。
明治三十二年春この城址に県内三番目の
公立中学校設置さる。是れ則ち埼玉県立
川越中学校なり。城の本丸御殿曽(かつ)て武徳殿
の名もて呼ばれ、学校と共に久しき時を閲(けみ)したり。
昭和二十三年学制改革のもと、川越中学校は
川越高等学校となり、校舎改築の折、
武徳殿は教室ともなれり。平成二十一年
学校は創立百十周年を迎え、時恰(あたか)も
当御殿は前年より修理期が訪れ、
同二十三年三月竣工をみたり。而(しこう)して川越市は
同二十四年市制九十周年の年に当れり。
この佳(よ)き時節の中、我ら川越高等学校同窓会
は城址と学校と川越市の恒久なる栄えを期し、
茲(ここ)に記念の碑を建て以て寿(ことほ)ぐものなり。

  埼玉県川越高等学校同窓会
           撰文 高十二回 山野清二郎

             平成二十三年十月二十二日

銘文には、石碑にはない振り仮名が付けられている。
この文を書いた山野清二郎氏は、埼玉大学名誉教授です。

この石碑が建てられた当時は、中に入ることが出来たそうだが、いつの間にか立入禁止になったようだ。
せっかくの銘文なので、実際に石碑の裏に廻り、直接読むことはできないものだろうか。

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