川越雑記帳2(川越見て歩き)

40-5 子育て地蔵(田掻き地蔵)



 「その西に折戸の地蔵堂がある。」
 これは明らかに東の間違いである。50㍍ほどもどって右折し、100㍍さきのY字路を左へ入る。
 100㍍ほど先の左側に赤い屋根のお堂があった。左側の門柱には「子育地蔵堂」と書かれていた。



 門を入って右側の建物は折戸集会所だが、その右側に地蔵堂があり、六地蔵が並んでいた。



 子育地蔵堂の前には新しい石碑があり、「折戸延命子育地蔵尊再建開眼法要碑」と彫られていた。
 「この地蔵は子育て地蔵尊ともいわれ、ミルクが自由に手に入らなかった一昔前までは、乳の出ない主婦や、嫁入り前の女性達など、遠くから大勢の参詣人があった。また一名田掻き地蔵ともいわれ、有名な伝説がある。谷中の大野董広という人が作男と一緒に田掻きをしていたところ、用事で帰った作男に代って、若者に変身した地蔵が仕事を手伝ってくれた。だから地蔵の足は今でも田掻きの土で汚れているという。」



 「裏の墓地には、谷中の開発領主大野縫之助や和算家大野旭山の墓石がある。」
 墓地の入口右側には、大きな宝篋印塔が建っていた。

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コメント一覧

川越原人
市街地の北東部です
川越市街の北東部、谷中と石田本郷の境にあります。
地図で折戸集会所を探せば分かると思います。
小池
どこですか?
http://blog.livedoor.jp/koike631/
川越のどのへんでしょうか?
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