昨日、下記の本を読みました。
「はて?この本は、どの層をターゲットに書いているのだろうか?」と疑問に思いましたが、「ターゲットは決めていなくて、前回に発行された超整理法の補完というか、最新のITを使った野口先生の方法のご紹介をしているのだ」という結論に達しました。
もし、僕がこの本を人におすすめするとしたら、まずは「他人から(電子)メール送られた資料をパソコンからプリントアウトしてファイルしている」方へ渡します。
その他にも、自分が考える憶測だけで資料を作る人や、安易にコトバや文章の意味を聞く、特に、なにも事前に調べないで人に聞くクセのある方は、読んだ方がよいと思います。
以前、この本の前に発行された「超」整理法という本を読んだが、その方法を実践しませんでした。
なぜなら、この本が出版されたちょっと後に読んだと思いますが、そのころは持っている情報が少なく、情報をシステム化して保存おく必要がなかったからです。(笑)
当時の仕事内容が情報を持つ必要性が薄かったということもあります。
いま思い返すと、1994年くらいだったと思いますが、あのころの情報ってものすごく画一的でした。
情報が横に広がっていかないため、自分の知識は「新聞・テレビ」が主体で、雑誌や本の読書量は今と比較すると圧倒的に少ない状態です。
それでも一応は仕事になっていました。
社会人になりたてだったということもあり、なんとかやってこれました。
自分の仕事の知識を付けることで、やってこれたのです。
これからはどうでしょうか。
いま、経済的環境が変化しており、社会が変わろうとしている時に感じます。
「いままでになかった事態になっている。よくわからない。」と有名な企業経営者でもこのような発言をしています。
もしかしたら、本当のことは「だれもよくわからない」のかもしれません。
そこで必要となってくるのは、「与えられた情報」を受け取っているだけではなく、「自分で必要な情報はなにか。付加価値のためにはどんな情報が必要か。(問題提起)」ということについての仮説立てて、それを検証(実践)を行うことだということです。
これはこの【超「超」整理法】に書いてあることを自分のコトバで少々直したもので、本のなかでは、「プッシュメディアとプルメディア」というところで説明しています。
ここはとても参考になりました。
専門家についてですが、「城野宏の戦略三国志 下―戦略行動のためのテキスト」では、「専門家=過去の知識の蓄積箱」という表現を使っています。
これは、その人自ら「専門家」を名乗る人は、「専門以外の情報に興味がなくなり、専門以外は「専門外だからわからんよ。」なんていうようになる、と書いてあります。
このように、「調べればわかる」という内容を持つ、知識だけの「専門家」は要らなくなるようです。
超「超」勉強法ではこのように書かれています。
「個別分野の深い知識が必要であることは、なんの変わりもないのだ。ただし、それを基礎としつつ、広い分野を眺望できる興味と能力が必要になるのである。」(226ページより抜粋)
このようなことから、これからの時代は「知識の有無だけではうまくいかないのだろうな」と感じています。
「なにが問題なのか、どうすればその問題が解決するのだろうか、その仮説をやってみる。うまくいかないなら、なにが問なのか、どうすれば解決するのか。そしてそれをやってみる」ということができる人が求められる人材なのだと考えています。
もっとも、検索で情報を得る以前に、基礎的な知識を持っていることは前提であり、そこから、上記の問題解決ができる人材が今後求められると思います。
そこへ向かって努力していきたいと考えています。
この本は知識の習得以上に、このような思考をしたことで役に立ったと感じました。
「はて?この本は、どの層をターゲットに書いているのだろうか?」と疑問に思いましたが、「ターゲットは決めていなくて、前回に発行された超整理法の補完というか、最新のITを使った野口先生の方法のご紹介をしているのだ」という結論に達しました。
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その他にも、自分が考える憶測だけで資料を作る人や、安易にコトバや文章の意味を聞く、特に、なにも事前に調べないで人に聞くクセのある方は、読んだ方がよいと思います。
![]() | 超「超」整理法 知的能力を飛躍的に拡大させるセオリー野口 悠紀雄講談社このアイテムの詳細を見る |
以前、この本の前に発行された「超」整理法という本を読んだが、その方法を実践しませんでした。
![]() | 「超」整理法―情報検索と発想の新システム (中公新書)野口 悠紀雄中央公論社このアイテムの詳細を見る |
なぜなら、この本が出版されたちょっと後に読んだと思いますが、そのころは持っている情報が少なく、情報をシステム化して保存おく必要がなかったからです。(笑)
当時の仕事内容が情報を持つ必要性が薄かったということもあります。
いま思い返すと、1994年くらいだったと思いますが、あのころの情報ってものすごく画一的でした。
情報が横に広がっていかないため、自分の知識は「新聞・テレビ」が主体で、雑誌や本の読書量は今と比較すると圧倒的に少ない状態です。
それでも一応は仕事になっていました。
社会人になりたてだったということもあり、なんとかやってこれました。
自分の仕事の知識を付けることで、やってこれたのです。
これからはどうでしょうか。
いま、経済的環境が変化しており、社会が変わろうとしている時に感じます。
「いままでになかった事態になっている。よくわからない。」と有名な企業経営者でもこのような発言をしています。
もしかしたら、本当のことは「だれもよくわからない」のかもしれません。
そこで必要となってくるのは、「与えられた情報」を受け取っているだけではなく、「自分で必要な情報はなにか。付加価値のためにはどんな情報が必要か。(問題提起)」ということについての仮説立てて、それを検証(実践)を行うことだということです。
これはこの【超「超」整理法】に書いてあることを自分のコトバで少々直したもので、本のなかでは、「プッシュメディアとプルメディア」というところで説明しています。
ここはとても参考になりました。
専門家についてですが、「城野宏の戦略三国志 下―戦略行動のためのテキスト」では、「専門家=過去の知識の蓄積箱」という表現を使っています。
これは、その人自ら「専門家」を名乗る人は、「専門以外の情報に興味がなくなり、専門以外は「専門外だからわからんよ。」なんていうようになる、と書いてあります。
このように、「調べればわかる」という内容を持つ、知識だけの「専門家」は要らなくなるようです。
超「超」勉強法ではこのように書かれています。
「個別分野の深い知識が必要であることは、なんの変わりもないのだ。ただし、それを基礎としつつ、広い分野を眺望できる興味と能力が必要になるのである。」(226ページより抜粋)
このようなことから、これからの時代は「知識の有無だけではうまくいかないのだろうな」と感じています。
「なにが問題なのか、どうすればその問題が解決するのだろうか、その仮説をやってみる。うまくいかないなら、なにが問なのか、どうすれば解決するのか。そしてそれをやってみる」ということができる人が求められる人材なのだと考えています。
もっとも、検索で情報を得る以前に、基礎的な知識を持っていることは前提であり、そこから、上記の問題解決ができる人材が今後求められると思います。
そこへ向かって努力していきたいと考えています。
この本は知識の習得以上に、このような思考をしたことで役に立ったと感じました。
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