昨日の朝、十数年愛用した腕時計の「ROLEX」が動かなくなりました。
知人の紹介で中古だったのでさほど値段は高くはないですし、点検に出そう出そうと思っていたが出していないので、その費用を考えると、さほど金額的なショックはありません。(点検に出していればまだ動いていると思うが、その分の費用がかかっているので、その費用分が手元にあるという考えです。点検1回5万円くらいするそうです)
使っていたものがなくなってしまうと、それを埋めようとする意識が発生するんですね。
たとえば、「今度は新品でROLEX買っちゃおうかな?」とか、「ザ・シチズン」とか、「グランドセイコー」などの日本の時計メーカーの最上級モデルをみたり、「カシオの電波ソーラー」の上級モデルを見たりしていました。
別に故障しても、買う必要はないのです。
先日に買ったカシオの電波ソーラー(参考:腕時計の電池切れだから・・。)があるのだから時計がないわけではありませので不自由はしていません(けっこうこの時計、好きです)。
ふと、「高価格なモノを持つことで喜びが味わえるのだろうか?」と考えました。
高価格なモノを持つという欲求とはどういうモノなのか、それを持つことでどんな気持ちになるだろうかを考えてみましたが、よくわかりません。
成金の方が、高価と思われるモノを身に着けているというのは、どういう気持ちなんでしょうね。
ROLEXを新品で買うと(たぶん買うとしたらハワイですかね)30万円は下らないと思います。
それを持ってなにが満たされるのか。
30万円、それで安いハワイパックなら家族で1回行けちゃいます。
もっとも、新品のROLEXを気軽に購入できるようであれば、なんら問題にならないのですがまだそうではないので、時計ひとつのことで悩んでおります。
今、この本を読んでいるのですが、ここには「モノよりも生きがい」とあります。
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新品のROLEXを購入した場合、5年ごとに点検に出すと思います。
そのコストは5万円。
持っているだけで毎年1万円が費用として発生します。
購入する30万円だけでなく、ランニングコストがかかるのです。
30年大切につかったら費用合計60万円かかります。
その値段を出す価値が、自分にとってあるかないか。
もう少し考えてみようと思います。
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・・・そんなことを考えなくても良い年収になればいいんだ。
うん。