KYOKUKENZO'S WORKSHOP 2025

「道」は自ら切り開くもの。
他人の後追いは「道」にあらず。

腕時計。

2014年01月16日 | 歳時記
最近は
腕時計のない生活をしている。

昨年末、
旅先のサウナで着替え中、
手を滑らせて腕時計を
床に落としてしまった。

修理に出したが分解掃除など
2か月ほどかかるという。

いくつか時計を持ってはいるが

ここはひとつ
気持ちに変化を求めて
腕時計のない生活を試すことにした。

考えてみれば
この50年ほど、私の左手首には
いつも腕時計があった。

若いころ、
カシオのクォーツを使っていて
そのころは風呂でも外すことなく
一年中時計をはめていた。

50年にも及ぶ生活習慣を
変えることに若干の勇気は要するが
やってみることにした。

ところが、
時計を外した生活を始めてみると
最初は、やや違和感というか
不安感のようなものも感じたが
じき慣れてきたような気がした。

時間の確認は、アイフォンの
待ち受け画面で充分できる。

自宅でも会社でも壁を見れば
掛け時計が時を教えてくれる。

街に出ればTV塔の電光時計や
いたるところに大時計があって
なんら不自由はない。

アポや待ち合わせや
会合の時間さえ押さえておけば
だいたいの用は足りるのだ。

なにより人と食事をしている時、
時間を気にして
腕をチラ見することがなくなった。

私の好感度アップに
少しは貢献したかもしれない。

時計のない生活は、時を
見つめなおすいい機会だった。

腕時計で残り時間を計算して
時に合わせて動いていた
「これまでの自分」。

時計の修理は
そろそろ上がって来ると思うが、
腕時計の使用を再開するかどうか
まだ考えてはいない。

時に流されず。時に合わせず。

時計のない生活は、私に
そんなことを気づかせてくれた。kyokukenzo

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