舞蛙堂本舗リターンズ!~スタジオMダンスアカデミーblog

ダンス(フラ・ベリーダンス他)と読書と旅行とカエル三昧の日々を綴る徒然日記。

ワールドカッップ!!!

2006-06-09 01:23:17 | 徒然話
なんかすごい気合い入ったタイトルになっちまいました

ともかく、いよいよ2006 FIFAサッカーワールドカップが始まりますね
冬季オリンピック同様、スポーツを観るのだけは好きな私は、今から応援する気満々です

一番印象深かったW杯といえば、8年前のフランス大会です。
下馬評では優勝候補ではなかったというフランスチームですが、私は当初からフランスを熱く応援し、いよいよ決勝戦でブラジルと対戦することになったときは、ALLEZ!! FRANCE と書いたトリコロールの手作りうちわを用意して備えました。
そのうちわの裏側には金色で"GOAL"の文字を(金紙を裏張りして)入れ、愛するフランスチームがゴールを入れたその瞬間、うちわを引っくり返して激しく讃えようという構えです。
また、うちのカエルたちを総動員し、トリコロールとF・R・A・N・C・Eの文字を交互に入れたミニ万国旗のようなものを持たせました。

ここまで準備すると、私はテレビの前に布団を敷き、目覚まし時計を試合開始の午前3時にセット。
私の人生において両手で数えられるほどしかないことですが、目覚ましが鳴ると同時に飛び起き、すちゃッとうちわをかざして全力で応援に入りました。

しかしそれにしても、よりによって相手はあのブラジル。
いくらおおかたの(とりわけフランス国民の)予想を裏切って勝ちあがってきたフランスチームといえ、彼等が勝てるなんて誰が予想できたでしょう。

いたんですよここに私が。

これもすべて、サッカーなんて何も知らない、ブラジルがどんなに強いかなんてひとっつもわかっとらんドシロウトだから出来た無邪気というより無謀な信念ですな。
でもまぁ、当時中学2年生だった無垢な(※あくまでも相対的な意味においてです)私は、クラスのサッカー部員たちの意見をことごとく無視し、フランスが勝つと信じてうちわをふり続けたのでした。

果たして結果は驚愕の3-0、無謀な私でさえ予想できなかった快勝でした。
なんとまあ、"GOAL"うちわの活躍する機会が3回もあったのですねえ。
寝る間を惜しんで作った甲斐があったというものです。


2002年は開催地が日韓ということで、そうとうな盛り上がりだったようですね。
(※突然テンションが急降下したことに注意)
当時私は大学生で、日本戦を観るために授業を中断してしまったすごい先生もいました。
まあ、その日普通に行われた授業だってどうせ半分以下しか出てなかったもんなあ。

別の日、私の下校時間に偶然日本戦の時間がかぶったら、いつも通る商店街や住宅地が気持ち悪いほど無人で静かだった。みんな観てたんだねえ。(※いっこうに盛りかえさないテンションに注意)

でも、私だって全然観なかったわけじゃないです。
トルコ戦のときはちゃんとトルコ国旗と"TURKEY"と書いた旗で応援しました。
うれしいことに、トルコもかなり善戦し、確かベストいくつかまで残ったのじゃなかったかしら。

私は当時アラビア語とイスラーム文化に傾倒していたので、トルコ以外もイスラーム国(赤十字のかわりに赤新月と言ってる国々ですね)を応援したかったのですが、王様たちの気合いのわりにトルコとチュニジア以外はあまり強くなくて寂しかったです。

選手ではイングランドのキーパー・シーマンが好きでした。
前回はフランスのキーパー、ファビアン・バルテスにハマってたんですよね。なんでこうキーパーフェチなんだか。


ということで、今年のドイツW杯ですね。

実は私、フランス大会のときのように熱く応援したいチームがまだ見つかっていないので、しばらくはいろんな試合を見てごひいきチームを漁りたいと思います。
重要な決め手はいい男の割合...ではなく、いやそれも一理ありますがロベルトバッジョかデルピエロ(イタリア)級のセクシー艶男でもなきゃさして意味ないので、とりあえずはプレーが紳士的か否かが重要な要素です。

例えば、(現在はどうか分かりませんが)こないだの大会でのイングランドのプレーは非常にスポーツマンシップに則っていて、見ていて大変清々しかったです。
せこい小細工で勝ったって、ひとつもカッコ良くないですものね。
今回もそういう気持ちのいいチームを探し求めて、一試合目から注目しますね。



〈追伸〉しかし、ジーコ・ジャパンじゃなくて彼のラストネームをとってコインブラ・ジャパンと呼ばれていたなら、私の日本代表に対する応援態度も少しは違っていたでしょうに。

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