93歳・老大娘の日記

晩年を生きる

お友達が~

2016-03-30 09:54:32 | 日々の暮らしから
我が家の桜、ちらほら咲き始めました。

毎日鳩君が来ます。

敬愛するお友達がこの程自叙伝出されました。おめでとう!
A5版(148×210)220頁の立派な本でびっくりしました。
   
矍鑠とは彼女のためにある言葉と思いました。
以前、メイ・サートン「82歳の日記」を読んで感動しました。当時私は70代半ばだったと思います。

今回はよく知るお友達ですし、間もなく90歳です。何倍もの感動です。
地元の名家に生まれ、戦争の混乱期も、戦後も、今も変わらず凛とした姿は、
みなの尊敬を集めています。
学徒動員中、工場で作業している写真をお貸ししました。
女学生が現場で働いている写真は珍しのかもしれません。

彼女とはたくさんの旅をしました。
 五能線にのり、白神山地のブナの森を歩きました。
 弘前城の満開の桜もみました。岩木山の麓も歩きました。
 豪雪で有名な酢が湯温泉もいきました。
 新田次郎氏の「八甲田山死の彷徨」で知られる八甲田山の入り口です。
 中国では九賽溝、黄龍、長江(揚子江)下り等々・・・
いつも彼女がリーダー役で同行のみなも満足していました。

出版記念会に行けませんでしたので、
いつか直接諸々のお話しを聞きたいと思っています。 
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エヴェレスト <神々の山嶺」>

2016-03-28 09:56:27 | 映画
 いい映画、大いに満足しました。
  
山岳映画はいくつも見ました、古くは「氷壁」「銀嶺の果て」。近くは「芙蓉の人」等々です。
この映画はエヴェレストの5,200mの高地撮影で迫力ありました。
色々撮影技術を駆使してはいるのでしょうが、自然の厳しさとともに俳優陣の迫真の演技もすごいものがありました。
冬季南西壁単独無酸素登頂に挑む伝説のクライマー羽生(阿部寛)の死のシーンはすごいを通り越していました。
岡田准一はその羽生を追う山岳カメラマン深町役で、筋骨隆々はV6の彼からは想像できません。
カトマンズをはじめ、ベースキャンプまでの途中のいくつかの村々もとても興味深いものがありました。
主題歌は世界中で圧倒的な人気を誇るモンスター・ヴォーカル・ユニット、イル・ディーヴォの歌う「喜びのシンフォニー」。
原作は夢枕獏の大ベストセラーです。

昔中国四川省の奥地世界遺産「九寨溝」(九さいこう)へ行ったとき、ホテルも海抜2,500m、
最奥地では4,000m超、現地の人も(チベット族)酸素吸いながら作業していました。
山に詳しいお友達の提案で、事前に南アの駒ヶ根で高地に慣れよう2,500超地点で歩きました。
本番の山では私の同行の友人は酸素を吸ってホテルで休息しなければならなくなった、高山病でしょう。
こんなことあんなことが思い出されました。

この映画館、ミッドランドスクエアシネマは7スクリーンあり、名駅近くでよく利用します。
駅から映画館までの地下通路からビルに映ったJRタワービルです。

チケット売り場

上映10分前しか入場させてくれませんので、ロビーをウロウロする私です
写真右奥がポップコーン売り場です。

それにしても映画館はどうしてポップコーンを売っているのでしょう?
隣の座席の人がガサガサポリポリ、匂いプンプンでとても気になりました。
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「禍福は糾える縄のごとし」

2016-03-26 21:56:51 | お出かけ
幸運にも人気の講演会に当りました。大きなホール満席でした。

抽選で参加者に著書が当ります。氏自ら抽かれたのが末尾「3」でした。 幸運でした。

サイン入り著書


ソフトな語り口はテレビで見るそのままでした。
内容は氏の持論を原稿も見ないで話され さすがでした。
アジアにおいて先進国で民主主義を共有する両国、
GDP2位の日本と8位の韓国の協力の如何に大切かを強調されていました。
しかし冷え切った両国が国家間で解決するのは当分は無理でも
市民社会がそれに従属してはならない、ぶれないで忍耐強く努力すれば必ずや解決するとも。
講演中、一貫して完璧なまでに 日韓韓日と二つを続けて話され、
竹島問題の時は、竹島独島とやはり続けて言うなど随分気遣いされていると思いました。
普通自国側は韓国なら韓日、日本なら日韓、中国も日本では日中、中国では中日となる。
氏は韓国籍ではあるが、熊本生まれ、日本の大学教授、熊本の美術館館長、
しかし、参政権はなく投票は一度もしたことないとも。
韓国はそれが(参政権)があるらしいことも話され、少し驚いた。

会場のホールは同じ地下鉄沿線の伏見で便利、著書も当たりいい気分で帰宅途中
デジカメのケースがないことに気付きました。
最近は手に持ったものをよく落とすので(リウマチのせい?)忘れたのか落したのかわからない。
ツイードのお気に入りなので、本が当たった喜びの数倍の数十倍のがっかりである。
と言うわけで「禍福・・・」なのです。明日会場のホールへ落し物の届があるか問い合わせてみます。


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お墓参り

2016-03-25 15:09:49 | 日々の暮らしから
お彼岸中には4人(きょうだい)の都合がつかなくてお彼岸明けのこの日(24日)となった。

ここは共同のお墓、無縁仏ではない、お骨を納めてある人の名前が銘板に刻まれている。

長福寺本堂(お墓はこの寺の裏山にある)最近建てなおされた。

お寺の門前に立つ桶狭間合戦遺跡の石碑

今川義元公首検証の跡

長年ここ(名古屋市緑区)と隣の豊明市で古戦場跡を主張して争ってきた。

450年も昔のこと、どちらの主張もそれぞれ根拠があるらしい。
言うなれば歴史ブームで観光資源争いの様相である。
最近は少し融和ムードになりつつあり、別々に行われて来た「古戦場祭り」を
一緒にという提起もあるらしい、県の仲介かも?

以前、長福寺の先代住職さんの説明を聞いたことがある、
本堂に武将の数々の遺留品があることから、ここに間違いないと断言されていた。
桶狭間で休んでいた今川義元が、信長の奇襲で打ち取られたときの
進軍ルートについても諸説あるように、
450年を経て新しい証明ができるとも思えない。
何十キロも離れているわけではないから、この辺り一帯が古戦場と言うことでいいと思いますが・・・
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17年忌献花

2016-03-23 18:55:42 | 日々の暮らしから
1999年3月15日夫は昇天致しました。
今年、当日は鎌倉へへ行っていましたので遅れて送られてきました。息子から。

一緒に「差し入れ」もありました。


17年の歳月は私にはかなり長く感じています。
当時はまだ一応60代ではありましたので、事後処理にも精神的にも耐えられましたが、
今の年齢では当時のようにはいかなかったと思います。
夫は現役中は積極的でしたが、退役後自身のの健康に関しては、悲観的にものを見る方でしたので
「今年の桜は見られないな」などと申しておりました、私はまた始まったと聞き流しておりました。
本人の言葉通り前日まで散歩もしていましたのに、様子が急変して救急車の中で意識がなくなり
到着後の病院で亡くなりました。今思えば幸せな生き方、逝き方でした。
私もかくありたいと思っていますが、こればかりはどうしようもありませんね。
信者ではありませんが、神の思し召しのままと言うことでしょう。

色々コメントいただきましたが、これは「辛夷」でした。区の土木事務所へ尋ねました、
一件落着、みなさまありがとうございました!
コメント (18)
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